幻想ノ櫻

 



【肆話】


好青年だと思った。社交的で明るい子に見えた。
しかし豹変を見せた。獣の様な目で洞口君を射た。
そして初めの方の社交的な彼から想像出来ない程
場の空気を破壊してフラフラと影の様に去った。
入水。櫻。激昂。煌々と彷徨う蛍。
そしてあの―――

人を突き落とすが如く冷たく絶望的な眼差し。


『―――どうして残すのだッ!忌々しいッ!』


桜じゃ無いのだろう。本当は。
それに象徴される何らかの事象に対して――
否、これは勝手な夢想の域を超えない。
大凡の感覚で人を見ると足を掬われる。

私は腐っても教授と言う肩書きを冠しているのだ。
真理を追究すべき道に在るモノなのだから。
推測でモノを語るべきではない。そう自分を制した。

彼はつい先程、私の事はまるで記憶に無い様な顔をした。
―――面白い子だ。まったく辻褄が合わない。

取り合えず風呂から出て着替えると
湧き出す好奇心に押される様に私は彼が待ってるであろう
居間に戻った。

あの様子だと――あの服のまま帰ってしまったかもしれぬ。
遠慮、否、あれは警戒だろうか、着替えを借りる事さえ抵抗があった様だ。
よしんばまだ居たとしても居心地悪さにウロウロと部屋を徘徊してるやも知れない。

そう思ったのは一瞬だった。
声が、聞こえてきたのだ。

「―――で俺ぁ云ってやった訳ですよ!出直して来い!と。」
「へー、勇敢なもんですね。僕には真似できないなぁ!勇敢な刑事さんに
もう一献――」
「商売柄、度胸はつかぁな。――お。すいませんな。あぁ!零れちまう」

「おい。お前ら。何やってるんだ、、、」
私は思い切り障子を開け呆れた。

てっきり大人しく萎んでいるとばかり思っていた
まだ馴染みの無い白い顔をした新入り研究員と
馴染み溢れる隣の――樋口君――隣に住む樋口上官の忘れ形見が
真っ赤な顔して呑んでいた。

「初めて来る家で酒の位置が判るとは大したもんだな!野々村君。」
「いやいや、戸口を叩く音が聞こえてね?で――お客様が来たのに
家主は風呂だ。世話になった僕としては家主に代わって持成すのが義務だと――」

義務で持成したにしては酒瓶の残りが乏しすぎる。
樋口君が飲んだ訳では無いだろう。酒は好きだが滅法弱い性質だ。

大きな溜息を付き「野々村君はかなり飲めるようだね」と言うと
「いえ、まぁ、ははは。」と彼は笑った。

目くじら立てる事も無いが多少気分は悪い。
しかし彼と言う人がまだよく掴めていないから
何とも云い難い。

気を取り直す様に部屋の中に入ると
和卓の彼らの並んで居る真向かいに座り
「さて、樋口君はどんな用件で来たのだ?」
そう水を向けた。

「いや、最近顔見ないので見に来たんで。」
隣なのに見ないのですか?と野々村が口を挟むと
「捜査が立て込んでいてね。中々家にも帰れねぇで居たんで
先生さんが生きているのか死んでいるのかを確認しに来たってぇ訳です。」

「そう簡単には死なないさ。君の親父さんの分も生きなくてはならない。」
「へへ。ありがたい事で。なら良いんです。帰って寝まさぁ。」

そう云って彼は背中を向けた。
たまにこうして様子を見に来てくれるのだ。彼は。
年もあまり変わらない、今やもう彼は兄弟の様なものだった。

帰国した私が真っ先に向かったのは実家では無く
樋口上官の家だった。
服に住所が書かれていた。
自決で引き裂かれた服を遺品にするには忍びなく、胸に入っていた親族写真を持って
かの家を尋ねた。

住所に居たのは同じく復員服を来た彼だけだった。
まるで惚けた様に誰も居ない家の中で横になっていた。

戸口を叩き、父上の最後の言葉を伝えると
私は彼の前に伏し、何度も何度も額を土にこすり付けた。

「母も、妹も、空から機関銃で――ぼかぁ、一人きりです。
何の為に戦ったのか――何の為に決意して出兵したのか――
父まで逝ってましたか。へへ。親父らしい言葉だな。皆を――頼む、か。
だぁれも居やしねぇよ。だぁれも。一人ぼっちだ。清々すらぁ!」

泣いているのか笑っているのか。
彼は床に畳みに横になったまま肩を震わせた。

「私には貴方を頼む――とおっしゃってました。」
「僕を?」
「優しい、強い子だ、と誇らしげに話してらっしゃいました。」
彼はまた肩を震わせた。

結局私は彼の隣に家を建てた。
それからの付き合いだから割と長い。
事在る毎に支えあってきたから最早他人とは呼べない。

あの時より彼の背中は広く、大きくなったんだな。
そんな事を小さくなり戸外へと消え行く彼を見ながら思っていた。

す――と衣擦れ音がして意識は思考の世界から引き戻される。
野々村は押し黙っている私に退屈したのか壁に置いてある書机の上に置かれた
本棚を繁々と見た。

「犯罪心理学――ヒステリー研究――図書室にも在るのに
わざわざここに持たなくても――我が闘争――あとはドイツ語で読めないや。
あ、これなら知ってる。読んだ事がありますよ。」

そう云って一冊の本を引き出した。
「意外な本を――お好きですか?梶井基次郎は。」
「うん?――そうだね。面白かった。」
「櫻の木の下には――教授はこの話、どう解釈しますか?」

不敬の輩は私に直接的ではない流し目を送った。
色目等では無く試す目的の元に発せられた様に見えた。

まったく喪って失礼極まりない輩なのだが何故か嫌いとも思えず、
お望み通り自論――いや、この場合は感想の方が近いだろうか。
ソレを彼に答えるべく姿勢を崩した。

姿勢を正す程の話では無い。

目の前の和卓には先程彼が勝手に呑んでいた酒瓶。
杯は一つ未使用のまま置かれていたからソレを取る。

「毒は――入れてないだろうな?」
「まさか。」
「君は掴めない人間だ。油断は出来ない。」
「貴方を殺して得など無いです。」

まだ何もご教授頂いていませんし――

彼は付け加える様にそう云った。
それは信用ならないが。
苦笑しながら杯を持つと

「若輩者の酌で申し訳ないですが――」
そう云って盃を満たしてくれた。

折り目正しいのか不敬の輩なのか
それすらも掴みきれないな――

「あれは死生観かな。大らかに華やぐ生
その空美しい景色に得る劣等感。解明不可能な不安。
その崩れた均衡を土に隠れた根を自らの未踏の地としての
死≠ノ準えバランスを取り、安心する様を書いて在る様に見えるんだ。
耽美的と言う人も居るが私は酷く日常を描いた世界なんだと思うね。」

「どういう事です?」
「あれは非日常への思慕と君は思うのか?」
「――判りません。」

「人は均衡を望む傾向にあるんだ。それが真実であれ
欺瞞であれ構わずに。例えば、家柄も良く、容姿端麗、
頭脳明晰――そう言う人を目の前にした時、
そうでないと自負する人には酷い劣等感が生まれる。

劣等感はその対象者を苛み、圧力を掛ける。――勿論
解消できる事なら解消してしまえば更なる展開が
その克服した人には褒美の如く与えられる訳なんだが――
賞味そんな事ばかりじゃない。

全ての人に世界は平等とは云えない。悲しいことにね。
そこでそのまま解消されなかった劣等感はどうするか――?
モヤモヤするだろう?まるで心の中、澱の様に溜まり、ただ沈んで
何かの機会に舞い上がり事在る毎に再び苛む羽目になる。そこで――」
「――均衡を取ろうとする。」

「そう。でも取れないんだよ。どうしても。だから欺瞞だと知りながらも
こう思おうとする訳だ。家柄も良く、容姿端麗で頭脳明晰、でもきっと――
心根が卑しかったり、狂気を宿していたり――何か傷(欠点)が在るに違いない。
その傷(欠点)を空想したり、探したりして紛らわすんだ。」

「汚いですね。何か。」
「でも処世術だよ。好きじゃないが私は悪いとは思わない。」
「でもそんなの叶わないのなら諦めてしまえば劣等感なんて――」
「諦め切れない事も在るんだよ。」

酷く胸が痛かった。
鼓動が妙に耳元で聞こえて暑くも無いのに汗が沢山噴出した。
でも私にはその覚えがまったく無かった。

諦めきれない想い――鼓動が跳ねたのはその言葉。
樋口上官の事だろうか。
私はあの時をまだ消化していないのかも知れない。

きっとそれだろう――な。

「そんなもんですかねぇ」

そう相槌を打ちながら自分の盃に注ごうとする彼の白い手を
叩き落とし彼に注いでやりながら

「大雑把な、、だけどね。」と笑うと彼も笑った。
「それよりもお家に連絡しなくても良かったのか?
心配するといけない。」
「あ、僕は一人暮らしなので心配は無用です。」
「そうか。」

「教授――僕は彼女に謝りませんよ。」

突然の事だったから何の事だか――正直泡食った。
すぐに思い出してああ、と間抜けな声を出してしまった。

「洞口君か。彼女も悪い子じゃないんだ。」
「頭は悪いけどね。」
「頭が悪いんじゃない。只、彼女はその、、あー。
何とも説明し難いが、いい子なんだよ。素直で、優しい。」

「その優しさも怪しいもんだ。あの手の流されやすそうな子は
嫌いなんだ。もう関わりたくない。」
「研究者たるもの気の合う人間とばかり付き合えないさ。
視野が狭くなる。気が合わないと思うなら彼女はきっと
君にとって刺激にはなるんだよ。」

「刺激ねぇ。サンプルとしては面白いかも知れないね
あの無残に破綻した脳内を学会に知らせたいよ。大いに驚くだろう。」

仲の悪いものを無理やり取り持ったとて
それは詮無き事。時間が繋ぐ事もあろうと
私はただ、困った顔して笑い――

先程、樋口君が持ってきてくれたと云う寿司を
二人で食べ、寝たくないと駄々を捏ねるこの不敬の輩のに
客間に布団を引き、蹴飛ばす様に床につかせた。

まったく面倒な事になりそうだ。


【続く】


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