極楽鳥ノ束縛




【肆話】


「あ――あの――この間は、その――」
「――この間が――なんだ」
野々村の声が酷くとげとげしい。

「あんな事をしておきながら――おめおめと人前に姿を晒している事をお責めになっているので――?」

野々村は返事をしない。

「分かってますわ。そんな権利など無いなんて!でも――私は生きております。だったらもう――自立しなければ!」

答えは返って来ない、代わりに野々村がまた一歩、彼女に近寄った。

「――ほ、他に道がありまして!償いに死ねとでも――!」
「挨拶も――無しか」

「――え――?」

「久々に逢った兄貴に挨拶も無しとは――やれやれ、我が妹君は冷たいお人だ」

くるりと彼女に背を向けると髪を掻き上げ、呆れた様な顔をして苦笑した。

「あ、あの!違っ!あ、お兄様!」
「ん?」

彼女に背を向けたまま顔だけ彼女の方を向いた。

「お、お久しぶりです。お兄様――」
まっ赤になり、彼女は消え入る様な声をひり出した。

「聞こえない」

「お久しぶりです!」
「誰に言ってるんだ」
「お兄様!」
「僕に何の様だ」
「お 久 し ぶ り で す 、 お に い さ ま !」

最早、絶叫に近い挨拶だった。
執拗にからかわれて完全に自棄になっている。

「――お会いしとう御座いました――と愛嬌の篭った一言も添えられぬとは何と色気の無い妹だ。兄としては君の未来を憂うよ」
野々村は嫌味たっぷりに髪を掻き上げながらそう云うと
彼女に再び近寄り――

「久しぶりだね、遙。元気だったかい?」と優しくその頭を撫ぜた。
「はい――」まるで子供の様に瞳を閉じてその愛撫に身を任せた遙の頬は優しい桃色に染まっていた。

「いつかこちらに遊びに来るかと思えば何の連絡も無しとは――」
「だって、アレだけ色々と仕出かした私ですもの、色々裏切りの様な事もしましたし――」
「易々と裏切られる程、僕は耄碌していないよ。君の嘘などばればれだ」

「――お会いしたかったけど――ご迷惑だと思って――」
「だと思ってた。心配していたのにな」

それを聞いて黙っていなかったのは蒼井さんだ。

「あら、遙に逢いに来たの?私の受賞祝いに来て下さったのでは無かったのね?」
「勿論、君が目当てで来てるんだよ。この度はお目出とう。」

そう云ってポケットから煎餅が入った袋を出した。

「ま!子供扱いね!――でも私お腹が減って困ってたのよ。有難う。」
――華は食べられないしね――と彼女は笑ってそれを頬張った。
「華より団子だと思ってたよ」

「五月蝿いわね。お腹が減ってなければ華も好きなのよ」
「でも――減ってたんだろう?」

蒼井さんは野々村を睨む。
野々村はヘラヘラと笑う。

暫くの緊張を保った後――蒼井さんは笑って又一つ、煎餅の封を開けた。


「腹が減っては戦は出来ないわ」
そう言いながらも彼女はとても美味しそうに食べていた。
まるで食べている時が至福の時で在るかの様にその頬を優しく緩ませていた。

野々村は彼女をじっと見詰める。
「何よ」
「喜んでくれた様で――嬉しいんだよ」
野々村は警戒する蒼井さんの頭をそっと撫ぜた。
蒼井さんはその手を猫の様に引っかく真似をして笑った。

「そうだ!」
彼女は皆の顔を見渡しながら言った。
「展示室、一旦閉めて昼食を食べに行きましょうか。遙と須藤さんは私が持つから――」
「いや、お祝いがてら私が奢ろう。」
「いえ、来て下さった上に――申し訳無いわ。」

「そのつもりでこの時間に花も持たずに来たんだから――君は美味い店を案内して欲しい」
「でも教員は薄給なのでしょう?無理なさらないで――」
「大丈夫ですよ。教授のご実家は日本屈指の財閥ですし。」
「野々村君…」

止めるのが遅かったようで。彼の言葉に皆の笑顔が凍りついたのが
直接見なくても視野の端に伝わった。私は思わず「余計な事を!」と睨むつもりで野々村と――遙さんの並び立つ方を見て――



――凄く、簡単な事の様な気がした。



それでも何に引っ掛かったのかが思い出せなかった。



野々村が右で――遙さんが左。



二人笑っているだけなのに――何に対して妙な感覚を覚えているのか
もどかしい思いをするばかりで少しも核心を得る事の出来ないまま
私はその『風景』をじっと見ていた。

「――教授?」
背後で蒼井さんが心配している。
ストロボの音が聞こえる。――いや、聞こえた様な気がする。
二人が――まるで写真の様に――白黒に点滅する。


――「君は忘れなさい」
何を?

――「いや、忘れずにいなさい。どうせ忘れられない」
だから何を?


何処からか聞こえた、様な気がしたその男は高らかに笑い、笑い、云った。

――「所詮人間など、愚かな生物に過ぎぬのだよ」
崖から人を楽しんで突き落とす様なぞっとする様な声だった。
絶望と達観を混ぜればあんな声になるのだろうか。

誰の声かは分からぬ、其の声はあの時の野々村の声に似ている様な気がした。あの日常を食い破り出て来る様な――



【続く】

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