極楽鳥ノ束縛




【伍話】


「――じゅ――教授、、教授?ご気分でも?」
蒼井さんの心配そうな声が再び聞こえる。

野々村以外の皆は私のそんな様子におろおろと動揺していた。
只、野々村だけはじっと私を無表情で凝視していた。

「いや、余計な事を云いやがって、とね」と野々村を一睨みして笑った。
野々村も肩を竦め、「人の良い教授は威嚇なんて慣れて無いもんだから」
 

――僕にしか伝わりませんよ、ああ、それで良かったのかと、小さな芝居を打った。

要するに調子を合わせてくれているのだろう。
私は回りに分からない様に口真似で彼に感謝の意を伝えた。
謙遜する様に首を振って笑う彼。

周りの人間はそんなやり取りに気が付かずに
「そんな凄い人なら遠慮なくご馳走になれるわね」
なんて他愛も無い話をしていたので
「偉いのは祖父で私は出し殻の様な者ですけどね」とだけ強調しておいた。

謙遜では無く事実だ。

財閥は祖父が鉄鋼業を起して作ったものだし、鉄鋼業は戦争によって嫌でも儲けた。とても罪深い事だ。血を吸って大きくなった様な財閥だ。

父はそれに対して反発の意もあったのか、祖父亡き後、人の命を作る手伝いを、と医学を志し、当時はまだ珍しかった産婦人を扱う科を置いた総合病院をその遺産で建てた。

では財閥はどうしたのか、と言うと祖父を慕い、遺志を守りたいと考える重役達が財閥を一人歩きさせる事を許さず、父は結局その長とは成れずとも顧問として経営に携わりながら自らの建てた医長をも勤める羽目になったと言う――


今では長女の初音、つまり姉貴が財閥を継いでいるし、
その側近には長男の修蔵が付いている。
二人掛りで経営を担っているから私は遠慮無く外でふらふら出来るのだ。

だから私は一切関与して居ない。

しかし復員後、祖父からの遺産で土地と家を買ったし
父が送ってくれる食料で喰っているのでまるまる稼ぎは残る、と言う点では
薄給でも人に奢れる余裕が出来るので些か皆が言っている事も否定は出来ないのかも知れない。

「とりあえず、行きましょうか」
「はい」

私が浮かない顔をしていたからか、
皆はそれ以上私の実家について何も聞こうとしなかったし話題にもしなかった。

「そう言えば――」と歩き出した私の隣で野々村が思い出した様に言い、
「皆が緊張していたから、挨拶して貰ったけど誰が何だかよく分からなかったよ」と蒼井さんに向かい説明を強請った。

「ああ、私も余り深くは知らないのだけれど――」
「途中で帰った物静かな人も絵描きかなぁ?」
「ええ、と――」
「ねぇ、遙。途中で遙が引きとめたにも関わらず帰った人が居たよね。背を丸めてこう――」

野々村は腰を曲げ、それでなくとも大きな目をぎょろぎょろと
喫茶店から見た不審な男を器用に真似た。

「ああ、お兄様ったらお上手だわ。居ました、その方、あの中尾先生のお弟子さんとかで――」
「あの男も弟子なのか――」
「確か――九条さん、九条柳七さんとおっしゃったと思うわ」
――展示会に戻れば記帳していただいたから正確に分かると思うけど、、と
自信無さそうに云った。

「人ごみが怖いって、、お止めしたのだけれど帰ってしまったの」
「変わった人よね。中尾先生と一緒に来られたのだけど、話しかけても目も見ないの。私、何だか怖くて…」
蒼井さんは自身の肩を抱きながらそう云った。

「色んな人が居るよ、人格とかそれに加わる生い立ちが付けた癖とか、このご時世だ、心に負担を受け病む人も居る。気が塞ぐ病もあれば、
対人恐怖を持つ人も視線恐怖症の人も居る。私の研究室にも居るのだが――そんな人間を一言で怪しい、怖いと云っては――」

「今日の会場、本当は一緒に賞を受賞した真中さんと言う女性と借りたのだけど展示の二日前になっても連絡が取れなくて、、一人借家暮らしだから心配して、、余計な事と思いながら警察に連絡したの。倒れているんじゃないかって。そしたら昨日。警察から連絡が在ってね――」

蕎麦屋の暖簾を潜りながら彼女は声を潜めて云った。

「彼女、死んでたの。何でも脳みそをほじくり取られてたって――凄惨な状態だったらしいわ。挙動不審な人間も目撃されてたとか。だから私怖くて、、、」


私は以前の野々村の言葉を思い出し、頭を抱えた。



是から、何か起きそうな気がするんで――


気の所為だ、と唱える気休めは逆の方向に心を引っ張り湧き上がる悪い予感を大きくさせた。
喉元で今だ残るモカの酸味と悪い予感の不快感がまるで雑踏に漂っていた香りの様に各々がその存在を主張しながら混ざり――奇妙な歪みを作った。




【続く】

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