極楽鳥ノ束縛




【弐話】
 

「お待たせしました――」
初老の男はそう云って目の前に二つの食器を並べた。

私の方には漆黒の液体が注がれ艶やかにその表面を揺らしていた。
野々村の方には琥珀色の液体で、これまた艶やかに光っては揺れながら琥珀に金にと表情を煌々と変えた。

光の加減だろうか。揺れる度に表面は色を変えた。
改めてじっくりと見るとその飲み物は不思議な物に見えた。

野々村はそれに砂糖を入れ、美味そうに飲み始め、
珈琲に手をつけない私を訝しげに見た。

「飲まないんです?冷めますよ?」
「ああ、頂くよ」

温められた食器に唇を付けるとじわりと熱が伝わった。
液体を口内で転がすと液体の持つ苦味が口一杯に広がり
目を瞑り、私はその舌先に感じる温度と鼻腔を擽る刺激に 感触を委ねながら外の景色を眺めた。

視線が行くのは矢張り会場で――

そこでは相変わらず忙しなく走り回る遙さんと須藤さん
そして何人もの男性に囲まれた蒼井さんらしき足元が
背広の群れの真ん中からちらちらと垣間見えた。

「人気だな――彼女は社交的だからきっと画壇からも温かく迎え入れられるだろう」
「黙っていれば美人ですしね」
「そんな事、本人の前では――」
「言わないですよ。そんな恐ろしい事、僕だって命は惜しいです」

告げ口してやろうかな――なんて少し底意地の悪い事を思った。

「しかし、絵描きと言う職業の人はもっと引き篭もった様な陰気な人だとばかり思ってたよ。」
「閉じこもる生活を強いられてるから逆に明るい人≠ノなるのかも知れませんね。」
「そうだな」

喫茶店の中の音楽は店主の趣味なのか音量も小さめでは無かった。
それでも向かいの会場では話が盛り上がっているのが
時折漏れ聞こえてくる笑い声で容易に想像が付いた。

「陰鬱な人も居るようですよ、ほら、教授、あそこに――」

壁に敷き詰められた彼女の作品を見ては、群集を睨む様な――
さも不愉快そうに睨んでいる如何にも不審な男が居た。

世間を拒絶でもしているかの様に背中を丸め彼はゆっくり歩いていた。
壁に這い蹲るように――作品を見ては群集を睨み、作品を見ては群衆を睨み、
まるで呪詛か何かを掛けているかの様に彼は群集の周りを一周して出て行こうとして
遙さんに呼び止められていた。

彼女が懸命に何か言うも男は視線さえ合わせず
只、じいと下を見ながら何かを口篭り、言葉を発せぬまま外へ出て行った様だった。

「矢張り、栄光在る所に妬み在り、と言う所かな?」
「危ないですね――」
「――ん?」
「しかし絵描きと云うのは、常時手袋をしている事が普通なんでしょうか?」
「手袋は高級だから儲かっている人ならそう云う事も在るかも知れないが――」
この温かい季節に誰が手袋など――

「さっきの陰気な男と――あの蒼井さんが緊張した面持ちで接客している男と
その周りの――ほら、白い手袋をなさってますよ。」

確かに蒼井さんの傍にいる男の手元には白い物がちらちら見えていた。
昼食時だからか、他に何か理由が在るのか、さっきまであんなに混雑していた会場が
蒼井さんに群がる男性五、六名を残して消えていた。

机の上を見ると野々村も紅茶を飲み干していた。
私のは熱いうちに頂いてしまっていた。
もう此処にいる理由は在るまい。

「さ、行こうか」
「――はい。」

野々村は目を硝子越しの会場へ未練を残したまま私に返答を返した。
矢張り何か突っかかるのだろうか――私は何か胸騒ぎがして
給仕に急いで料金を払い、扉を一気に空け急いだ。

けたたましく鈴が鳴ったのが背後で鳴り音が遠のくのを
会場を睨みつけながら感じていた。

人気の多い通りを渡ると人の衣服に付いた
様々な家独特≠フ香りがした。
好ましく香る者、好まざる香りを纏う者、様々だ。

我、此処に存在す、と各々が自覚も無しに主張しているかの様に
それらが交わり、束なってこの雑踏と言う空間を作る。
思念と温度が混じり、奇妙な歪みを体感する感じが何とも――

私は今ひとつ人ごみが好きになれない。

「蒼井さん」

私は雑踏を背に背後の空間流れを振り切る様に腹に力を込めて
はっきりと彼女の名を呼んだ。

「来て下さったんですね、教授。光栄です。」
「花束は――後日にするよ。君が埋もれてしまうといけないから。」

私は展示室の一角に小高く盛られた幾多の花束を見ながら云った。

「これ、私の葬式の時まで置いておけないかしら――」
勿体無い――と彼女は小さく愚痴を呟いた。何て物騒な事を、、

「君が逝ってしまうまで待たせては岩だって朽ちてしまうよ――」
「ま、私は石長比売ではありませんわ、、美人薄命と申しましてよ」
そう云ってころころと笑う彼女を横目で見ると
「美人なんだけどなぁ――」と野々村は(先程の話の続きなのだろう)呟いた。

「何か文句でも?」からかう様に野々村に顔をずいと向け彼女は問いかけた。
「口が達者すぎるのが残念だ、とね。」と野々村もからかう様に応戦した。

「完璧だと鼻に付くでしょう?妬まれては適わないからわざと風穴を空けてるのよ」
「大きな風穴だ――流石の完璧と云う壁もそんなに大穴空ければ崩壊してしまう」

ふん、と彼女は野々村に背を向けると肘で彼の腹を打った。
野々村はうう、、と大袈裟に体を曲げうめき声を上げると体勢を戻し、柔らかく笑った。

どうやら戯(じゃ)れている様だ。

「ああ、蒼井さん。」
「――え?」

野々村は不意に険しい顔をして背中を向けている彼女に声を掛けた。

「――気を――付けて――」
「――――え?」

彼女は振り返り、戸惑いを隠せずに視線を野々村に止めたまま
彼はじっと真剣な目で彼女を見たまま
二人はしばし見詰め合った。

交わす視線で何か伝わったのだろうか、
戸惑い、考え、疑い、様々な色を其の目に浮かべては消し、
やがて彼女は一言「分かったわ」と強い意思の光を瞳に浮かべ頷いた。

彼女に群がっていた男達はそんな様子を訝しげに見ていたが
焦れたのか一人、彼女に近寄ってきた男が居た。



【続く】

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