PIECE COLLECTOR【新聞記者の贖罪】

【九話】


思考が止まる。

受話器が床に落ちる音が脳裏に響いた。
現場に駆けつける。空気が生ぬるい。

まるで酷く疲れた日の夢の其れの様に体が現実感から疎外される。-- 続きを読む --
全てがスローモーション。

彼の屋敷の門は開ききっていて、玄関の扉の傍には人だかりが出来ていた。
アスファルトに広がる黒い染みは酷く広範囲だった。

射殺…

私は立ち尽くす。どんな現場でもこんなに疎外感を感じた事は無かった。
まるであの時の黒く焼けた家を見に行った時の様だ。

あの時だってこんなには…こんなには…

「止めて!彼を…彼をそっとしておいてぇぇっっ!」

絹を裂く様な悲痛な声が人だかりの中から聞こえた。
思考よりも体が動くのが早かった。

「この血みどろの殺人鬼を庇うのか?さてはお前も共犯か!」

目の前が真っ白になった。初めての経験だった。
人の心を平気で切り裂く言葉。これは声無き大衆の嘲笑。

ああ、これがマスコミだ!職業広報だ!人では無く機能だ。
そして――これが装飾する事無い私だ。

――彼は――私≠セ。

涙がとめどなく溢れた。
もう良い年なのに論理や恥や名聞など一切見え無くなった。

「もう二人を放っておいてくれ!」
「もう人を辞めないでくれ!」
「もう十分だろう!もう…もう…」

先程の暴言を吐いた記者が私の胸倉を掴んだ。
「お前は十分この二人から甘い汁を吸ったじゃないか!そんな人間が今更なんだよ!」
「過ちだった!お前もきっと後悔する!」
「出世の先に何の後悔があるんだ!引っ込め!」

殴った。殴った。殴った。

目の前の記者を殴っているのか自分を殴っているのか…もう視界は滅茶苦茶だった。
朦朧とした視界の中で警察に拘束されるのを感じた。

「悪魔は二人じゃない!私達だ!マスコミだ!マスコミを卑下しながら愉悦を楽しむ観衆だ!
狂っているのは私達なんだ!!もう気がついてくれ!気がついてくれ!!」

ストロボが焚かれる。止められない。フィオナの悲鳴も聞こえる。
私は警察の車に無理やり乗せられる。

「もう沢山だーーーー!!」


意識は薄く…もう全てが朧で…もう何も見る気も無くなって…
車窓から見える景色に唾を吐きたい気分をぼんやりと堪えていた。

「こんなに後味の悪い事件はもうご免だね。」

運転手がそうぼやいた。
私は胡乱にその言葉を聞き、力無く頷いた。

ふと助手席に視線をやると若い刑事が頭を抱えて泣いていた。

「貴方が…?」
私は無気力にそう聞いた。返事は返って来ても来なくても
どっちでも良かった。

「僕です。僕じゃないけど…僕です。」
彼の言葉もまた頼りない、うわ言の様な言葉だった。

「こいつはオーティスの被害者の恋人でね。最終的に堪えたんだが他の民間人が
銃を持って飛び出してきてね。他の被害者の…あれは父親だろうな。
銃を持っている手を打つつもりだったらしいんだが…それをオーティスが庇って…」

運転手がそう補足した。

「庇った…?」
「そう。庇った…」

運転手も若い警官それきり黙ってしまった。
そして私もそれ以上言葉が紡げなかった。

如何してこんな事になる前に止めてやれなかったのだろう…
如何して私は…

すすり泣く声が聞こえる。若い刑事の音なのか、自分の音なのか運転手の音なのか…
もう何も分からなかった。

只、車内に響くエンジン音に心が静まるのを待っていた。

署に着くと私は住所と名前…とかそんな内容の書類を書かされたと思う。
暴行相手から訴えられるかも知れないとか何とか…

如何でも良い事だった。

署まで私を連れてきた刑事達はそんな空ろな私を見て
同じ様に空ろな顔で力なく笑った。

「我々も同じ様な心境です。警察で在る事が――」
そう言って言葉を切り、後ろを見た彼は若い刑事の真っ赤に腫れた目を一瞥して
私を見て静かに首を振った。

「辞表を出しましてね、探偵事務所でも始めようと思ってます。」
「探偵事務所に…。」
「そうです。」

私は彼らの身に何が在ったのかは知らない。聞ける状態でも無い。
ただ、彼らとはこのまま離れるのも何か…

「何か力になれたら…」
とりあえず胸元から名刺を出し二人に渡した。
彼らは同じ様なタイミングでそれを受け取り若くない刑事はしかめ面をした。

「お前は本当に…」
「なんです?」
「普通こう云う場面では目上の人間を敬って先輩より後に受け取るもんで…」
「敬ってますよ。だから最終的にこの件でも相談したじゃないですか…」
「…ったく…」

私達は三人で力無い笑い声を上げながら署の出口まで歩いた。
少し、気分が解れた。あれは二人の気遣いだったのかも知れない。

しかし二人と別れるとすぐに感情と思考が押し寄せた。

レオンはもう居ない。罪の証はもう居ない。
私がすべき事は…出来る事はもう…

死んでしまっては何もしてやれないじゃないか。


――本当にそうか?


…いや、辛うじて出来る事が、在る。

私は身元を受け取りに来てくれた妻に頭を下げると彼女は理由を問いかけた。
私は答えずに首を振った。

彼女に辛い思いを分けたくは無い。只、黙って首を振ると彼女は泣いた。


彼女の頭を撫ぜ、家に送り届け、私は一人社に戻り記事を書き綴った。
これが贖罪?罪はもう拭えない。償えない。只の自己満足だ。

被害者の辛さも、加害者への未練も私は持っている、
この記事は私にしか書けない記事だ。

元々新聞――記録なんてものは同じ間違いを繰り返さない様に
記述していくメモから派生したものじゃないか、私は起源に帰って
一介の記者ではなく人として――

被害者の生前の人格を、その命の光を、失う事の悲しさを…そして
犯人である彼の孤独を、彼の人生を、彼の温度を伝える様な記事を…
彼がもし愛に満ちた環境で育っていたらこんな事にはなっただろうか…と。

そう世間に問題定義したかった。もう二度と同じ間違いを繰り返さぬ様に。

子供が居るなら抱きしめてやれ、叶わぬなら沢山話を聞いてやってくれ
精一杯の愛情を伝えてやってくれ、叱ってやってくれ、感情を教えてやってくれ。

そしてそう書きながら初めて気がついた。

私は家族をちゃんと愛せては居ない――

私は三人の息子の得意不得意を知らない。余り接する時間が無かったからだ。
私は妻の言葉を知らない。彼女が人間≠ナある事すら失念していたかも知れない。

嗚呼、何と狭い領域で私は生きていたのだろうか。
また過ちを繰り返して居たじゃないか。

私は…署の前で別れた妻の肥え太った後姿とその泣き顔を思い出した。
痣が付いた息子達の何か言いたげな顔を思い出した。

取り返せる…だろうか…。いや、怖気づいてはいけない。
万に一でも可能性が残っているなら――

過ちを悔いて償う――

レオンにはもう出来ない事なのだから――
させてやる事が出来なかった事なのだから――

私には出来ないなんて云う資格は無い。

脱稿して家に帰ると彼女はベッドに寝てしまっていた。
真っ暗な家、何の音もしない空間。

五月蝿かった家がこんなに静まっていたとは――
今更気が付いた自分の愚かさを呪った。

そして一人ベッドに横たわる。
隣のベッドから聞こえる妻のいびきをBGMに眠るのは非常に寝心地が悪かったけれど
何も音がしないよりは…良いかもしれない。

私はいつからこんなに疲れていたのか引きずられる様な眠りに身を投じたのが昨晩だ。
そして今に至る。

これだけ亭主がベッドサイドで彼女を見ながら長い間考え事をしていると言うのに
彼女は起きる気配も無かった。

私は在りし日の彼女を思い出して苦笑した。

「もう少し俺に甘えてくれれば良いのに…」
「そんなの…恥かしいわ…」


此処まで恥が無くなると清清しい程だな。
それでも君は私はずっと外に心を出掛けさせたまま帰って来なかった私を
ずっと此処で待っててくれたんだね。

彼女の肩を揺り起こす。
驚いたのか彼女は慌てて起き上がると

「まだ行ってなかったの!?」と私に聞いた。
「ずっと君の寝顔を見てた…」

彼女は目を見開いた。

「ずっと私の事なんて…家の事なんて見なかった癖に!」
彼女は私に枕を投げつけて来た。

「でもそんな愚かな私を君は待っててくれた。」
彼女は顔をくしゃくしゃにして泣いた。

「君を誇りに思うよ。ずっとこの家の中は君の戦場だったんだね…」
幾つも幾つも涙がシーツに落ちた。

「息子達も…独立にはまだ早い。一度家族会議がてら旅行にでも出ないか?
皆で。オーストラリアなんて如何だろう?」
「もう息子達なんて寄り付かないわ!私は彼らに沢山酷い事をしたのよ!積み重ねたのよ!」
「それも私の所為だ。」
「そうよ!…そして私の所為よ!」
「私が皆に連絡を取るから…皆で沢山話をしよう。そして一緒に運動も――」

彼女の胸内には沢山の澱が溜まっていた様で涙でシーツがびしょびしょだった。

「愛してるよ。君が大切だって事、忘れていてご免。私も色々在ったんだ。
私の話も聞いて貰うよ。君達の話も聞かせて欲しい。」
彼女は萎んでしまうかと思う程泣いた。私は只、頭を撫ぜた。

彼女のしゃくり上げる声を聞きながら窓を見ると外はとても良い天気だった。

罪はまだこの身を離れない。きっと一生の付き合いになる。
それでも私達は未来を生きなければならない。

だから私は今、こうして会社に電話を掛け仮病を使うに到るのだ。

失ったものは帰らない。しかし罪だけは残され積もる。

だったらせめて目の前に在る世界だけでも、大事に壊さない様に愛していくのが…
取り返しの付かない失敗をした私の義務と権利だと思うんだけど――

如何かな?レオン。
都合の良過ぎる考えかな?

とりあえずの贖罪は目下の課題は家族の修復と
君の残した世界を守る事だと思っているよ。


なあ、レオン?


君が歩んだ人生、終わってみて如何だった?
私がそっちに行ったら今度はじっくり話を聞かせてくれよ。
叱咤でも恨み言でも構わないから――。




【END】




皆がレオンに問いかける。
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