幻想ノ櫻

 



【後日談】其の弐



「取らぬ皮算用では在りますが、統合させる気で居るんですから僕≠ヘ僕≠ナ分けて認識などしたくないのです。例え乖離していたとしても。
分けて考え出したら本当に二度と統合出来ずに人格が完全に一人歩きしそうな気がして怖いのです。」

非常に精神的な話では在るが理解の範疇を超える、と言う訳では無かった。

女性が出産の際にどんな認識でソレを産むのであろうかと考えた事が在る。
お腹に居る間、胎児は母親の一部であり、母胎に一体化している。
胎内で独立して動いてはいるものの内臓と同じだ。

それが在る日、腹から出てきて泣くのだ。
今の今まで内臓の様なものだったものが自分と離れて一個人になるのだ。
そしてその子は名前を与えられて完全なる母胎との決別≠する。
さて、母親はどの時点で胎児を、自分の一部を自分ではないもの≠ニ認識するのであろうか

何人かの人にそれを問い掛けてみたが、腹の中に居た時から、と言う人も居れば出てきて泣き声を上げた時から、と言う人も居れば、歩き出した時、と言う人も居た。

大きくなってしまった今でもそう認識する事が難しいと言う人間も居たが
それは只の依存で在って参考として此処で上げるのは些か乱暴な話しなのであろう。

大概の人は名前を付けた時、心の中に何らかの変化が起きたと云っていた。
人は名前の無いものは識別出来ない。それゆえにソレの意味は特別に感じるのだ。

大概の人は識別出来ないモノには不安を感じる仕組みになっている。
彼女達に起きた変化、とは自分の子供を一人間として見る事が出来たと言う安堵であろうか――

そういう流れから考えると彼の云っている事も判らないでは無い、無いのだが識別しないからと云ってその存在を否定は出来ないだろう。

「我々漢字文化圏には嘗て実名敬避俗(じつめいけいひぞく)と言う慣習があった。通常呼ばれる名前と別に人は諱(いみな)と云う名を持っていてその名前は秘すべく名でね。

諱(いみな)で呼ぶ事はその対象者の親や主君しか許されなかった。
それ以外の人が呼ぶと言うのが非常に非礼である、と云う内容の慣習だ。

これは人間の霊的な人格と名とが非常に深い結びつきがあると言う考えから来るものでその名を託す、と云う事は名を託した人物に支配されても構わない、
逆に言うとその名を使うと云う事は対象者を支配すると云う事と同等な意味を持っていた。

君の深層心理が名前を付けて識別する事で人格が一人歩きする――
何て名前と言う無機質な文字列にその流れにも似た感覚を感じると思うのなら逆に主人格である君が名前を付けて認識し、従え、徐々に取り込む様に
持って行くべきだと私は思うのだが――」

野々村は暫く考えながらむむ――と唸った。

「でも僕は僕です。乖離しようが何だろうが野々村修一と言う名前が在るのです。乖離した僕を僕と別物だと思うからそんな話が出るのです。僕は僕≠ナ一個人です。」
「でも記憶は一つでは無いじゃないか」
「これから一つに――するのです。」

「まるで駄々っ子だな――意識も我々の一部でしか無いのだよ。君は君の意思で歩いたり止まったりするけど君の意思とは別に心臓は勝手に動くし欠伸だって勝手に出るだろう?自分の全てが自分の思う通りに動かせる筈が無いよ。それに――」

例えあの人格が一人歩きしたとして放っておいても問題は無い様に思えるし、この二つは安易に統合出来る様にも思えなかった。

彼と乖離した人格の根本に決して混ざり合えない性質が在って、
例えば――今、目の前に在る基本人格としての彼を、壱として乖離した人格を弐としよう

壱は人の心を傷つけたり拘束したりする事を嫌うし、割と礼儀を重んじる。
如際なく人付き合いもするし快活に笑ったりもする。他の生徒となんら変わらない程 彼は日常に埋没する事の出来る人格だ。

対して弐は人の心に土足で踏み込み圧力を掛ける事を楽しみ、酷く人に対して突き放した様な物言いをする。人間が嫌いなのかも知れない。他人の感情をまるで薄気味悪いものでも見る様な顔で彼はずっと話す相手の背を見ていたのが印象的だった。

そして彼の表情は異質を記し、決して日常には紛れる事の無い狂気と言うものさえ感じさせ、何処から学んできたのか非常に洗脳的な話し方をし、まるで実験か何かの様に言葉を相手に吹っかける。

あの様子では人の命でさえ大した価値など感じて居ないのかも知れない。
普通の神経を持っていたならば崖に落ちかけている人間を見て手を差し伸べるであろう場面も弐の彼は迷いも無く唯一引っ掛かっている手を踏みつける様な真似をした。


【続く】



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