幻想ノ櫻

 



【玖話】


「確かに彼女に空想癖は昔から在りましたが――違う気がします。」
「取り合えず、先程私に云ってくれた続きを聞かせて貰えますか?」

「分かりました。画廊のお客さんへの対応がひと段落してから私は彼女の待つ喫茶店に行ったんです。ずっと忙しかったので逢うのは久しぶりでした。彼女は酷く疲れている様な感じで――挨拶もそこそこに云ったんです。人を殺してしまったみたい、って。あの時私、冗談だと思って笑ってしまいましたの。」
そう云って彼女は深い溜息を落とした。

「今でも彼女の言葉を疑っているの。彼女は元々空想癖があったし、それにあの時の彼女はとても朦朧としている様に見えたわ。だから疲れて幻覚でも見たか、空想を現実だと勘違いしてしまったか――色々原因は考えられるだろうけど彼女のいつもする空想はとても幸せなものばかりだったから少し引っかかって――もしかしたら本当かも知れないとも思っているの。私は幼馴染だけど彼女の事を全て知ってる訳じゃないもの、カストリ雑誌に書かれている様な――そのジギルとハイドの様に――」

彼女は祈る様に組み合わせていた両手をわなわなと振るわせた。

「幸せな妄想ばかり――ねぇ。それにしても分からないな。」

野々村はそう云って両手を上に上げ伸びをした。

「それでは只の白昼夢の様だよ。別に血塗れで君の前に現れた訳では無いだろう?その話ではここに相談に来る理由が分からない。」
「そう――ね。でも話しに続きはあるわ。その話を聞いた後、私は彼女のお宅にお邪魔したの。彼女が殺したと云い張ってる人は彼女が産まれる前から住み込みで働いている使用人で彼女が入れた紅茶を飲むなり血を吐いて倒れてしまったらしいんだけど、
その出来事が空想なら家に居る筈でしょう?私はその姿を見て安心したかったの。」

余り鮮明に話が伝わらないのは目の前に居る蒼井さん自身が混乱をしている所為だろう。
補足を促す様に私は言葉を挟んだ。

「彼女が殺したと云うなら死体は何処へ?身内から捜索願とか…」
「使用人をなさってる人は容子さんとおっしゃるのだけれど、容子さんには身寄りが無いのよ。元は女優志望で彼女のお母様の付き人だったとか。」
「お母さんは女優さんなのですか?」

間髪入れずに野々村が問う。彼女は慌てて口元を押さえる。

「大丈夫。誰にも話さないよ。そんな低俗な真似――しないよね、野々村君?」
「そんな暇じゃないですね。少なくとも僕は。教授も多分――」
「多分とは失礼だな。」

私が軽く野々村を睨むと彼は肩を竦め「大丈夫です」と笑った。
それを見て暫く考え込んでいた彼女は諦めが付いたのか大きく溜息を付き話しだした。

「正確には元――です。昔、女優さんをなさってた様で。で、彼女は死体の在り処も何も彼女が倒れてからの記憶が無いそうなんです。気が付いたらその時の服装のままで寝室で横になってたそうです。」
「で、結局、その容子さんとやらは――」
「居ませんでした。と云うよりお逢い出来ませんでした。彼女のお母様、柏木志津子さんとおっしゃるの。ご存知?」
「父が一時期夢中になってたらしいです。ブロマイドを見せて貰った事がある程度ですが。」
「三人娘として有名だったらしいの、父が言ってたわ。後のもう二人の名前は知らないけれど、清純派女優さんだったみたいね。今でもとてもお綺麗よ。」

まるで自分の母を自慢する子供の様に彼女は少し血色の良い顔をした。
でもそれも束の間、彼女の表情は再び暗い影を落として話を続けた。

「そのお母様がおっしゃるには彼女は旅行に出かけた――と。熱海とか何とか。私、とても嫌な予感がしたの。」
「つまり―――お友達が使用人を殺して、その遺体をそのご母堂が片付けたのでは無いか、と?」
「私、好奇心が強くてとても沢山の猟奇的な記事を読んだわ。推理小説も読んだ。だから私の妄想だと思うの、思いたいの。でも――」
「君は相談する所を間違っているよ。それは警察に言えば良い。」

野々村はこの話に興味を失ったのか冷たくそう言い放った。

「彼女は妄想癖が在るのはご近所でも有名なの。昔、何度もお母様に殺される、とか云って屋敷を出て警察に云ったらしいのだけど
彼女、お母様にとても溺愛されてるの。それもご近所で有名だったので大事件にならないで済んだの。特に外傷も無かったしね。暫く落ち着いていたけれどそんな定評のある彼女の発言なんて真面目に受け取るかしら。」
「まぁ銃中八苦、受け取らないだろうね」
「それに――記憶違いとか、心の病気とかであって欲しいの。あの子は本当に優しい子なのよ。殺人鬼で在る筈が無いわ。心の病気なら治療する道も在るでしょうけど殺人なら彼女は暗い牢屋に入ることになるわ」

かけがえの無い親友なのだろう。彼女は酷く苦しそうな顔をした。まるで我が事の様だ。
私はこの話を整理しようと両手を三角に組み、考える体勢に入った。

静けさが部屋の屋根から下りてくる様に全体に重く圧し掛かった。

「ねぇ、蒼井さん。」

野々村は彼女にぐっと顔を近づけ話しかけた。

「――はい。」
「君は彼女がご母堂に殺される、と云ったの嘘だと思う?」
「――分からないわ。私の親は虚言だと思ってるわ。そう云ってたもの。志津子さんは近所で評判のお優しい方なのよ」
「君の親の意見はこの際どうでも良い。君の意見を聞きたい。」
「私は――まだその時本当に幼くて、十四歳よ?親の意見は絶対的に正しいものだと思ってたわ。」

野々村はがくんと首を――まるで紐の切れた操り人形の様に俯いた。
隣に居た私は吃驚して彼を見た。

野々村は髪が男にしては長い。表情は伺えなかった。
ただ、その長めの髪から少し垣間見える唇

――その端がゆっくりと上がったのが見えた。


「――今は?」
「――はい?」
「今は――どう思う?」

思いもよらなかった質問だったのだろう。彼女の目が動揺で落ち着き無く動いた。
自らの内に内にと探りを入れる様に意識に沈ませているのが目で見て分かった。

「今は――今――。彼女は何か失敗をして――例えば彼女自身の命に関わる様な――それできっと酷く怒られて、日ごろ優しい顔のお母様だからその――驚いてそんな事を――」
「要するに彼女の妄想だと思うと云う事?」
「妄想なんて!――少し、お母様に裏のお顔あるのかと疑ってはみたけど、でもあんなに優しいお母様が――」
「元――女優なのだろう?」

彼女は急に立ち上がり、手を唇に当てたまま固まってしまった。見る見る内に青くなる。確信、恐怖、疑惑、悲痛な悲しみ、そして行き先の見つからない怒り。沢山の感情が読み取れた。だからこそ余計に心が何処に在るのか分からなかった。

「恐らくは――」
「で――でもそれから何年か経って彼女は私に云ったのよ?お母さんがとても可愛がって下さると、寝るまで子守唄を歌ってくれると、華を髪に飾って下さると、だから私――」
「本当は薄々分かってたんだろう?」

野々村はソファーにゆっくりその身を沈めながら云った。

「薄々彼女の身に何が起こっているのか感じ取っていた――」
もう一度ゆっくりと繰り返す野々村は笑っていた。残酷な顔をして哂っていたのだ。目の前の彼女の弱さを。否、大抵の人間が彼女の立ち居地に立ったとして同じ様にするだろう。それは罪では無い。人は人の事ばかりを考えて生きてはいられない。自分一人生きていくだけでも大変だった時代だ。人の事など如何して面倒見れよう。ましてや警察でさえ対処の出来ぬ問題だ。

沢山の選択肢が羅列された中で人は一番自分に都合の良い情報を手に取るのが本能なのだ。生き抜く為に埋め込まれた仕組みなのだから。

蒼井さんは動かない。声も発しない。そんな彼女を追い詰める様に彼はまた言葉を吐いた。

「気が付いて、見て見ぬ振りをした――」
「だって!――だって仕様が無いじゃない!幼かった私には彼女を食べさせてあげる事も、匿ってあげる家も無かったのよ!気づいたとして、何が出来たのよ!」

今まで冷静だった彼女は叫び声にも似た悲痛な言葉を吐いた。
涼しげな瞳に涙が溜まり煌々と今にも流れんばかりに光っていた。

「だから彼女の妄想だと良いな―と思った、いえ、願ったのよ!彼女の作り事で、珍しく陰気な空想で、きっと本当は幸せで――そう願ったのよ」
「欺瞞だね。大した友人$Uりだな。大親友だ。」
目を手の平で塞いだままソファーに仰け反る様にして野々村は笑った。

私は立ち尽くす彼女の頭をそっと撫ぜ――
「君は悪くないんだ。誰だって我が身で精一杯なものだ。それなのに君はそれを後悔しているから此処に来たんだろう?彼女を救う手段を探りに――」そう云った。

別段気休めを云ったつもりは無かった。彼女は自分でも気が付かない内に失敗を繰り返さぬ様動いていたのだ。彼女は優しい、普通なら見てみぬ振りをしたまま忘却の彼方――だ。

「きっと君にとってその幼馴染は大切な子だからだろう?」

何度もその頭を撫ぜる。初めは大人びて見えたがこうして見るとまるで小さな子供の様に見えた。彼女の表情は動かない。何かを考えているのか放心しているのか分からないけど何度も頭を撫ぜた振動からか、その頬をつつ、と一筋の涙が流れた。

「泣きなさい。想いを出すと良い。ずっと堪えて来たのだろう?形の捉えられない不安を抱えたままずっと――
その胸の中に在る不安の名は罪悪感と云うんだ。それが君をここに連れてきた。ソレの役目はもうそろそろ終わりだ。泣いて少しずつ落とすと良い。」

いつの間にか彼女はしゃくりあげて泣いていた。

「――授、――教授――けて下さい。助けて!私にはもう、彼女の身に何が起こってるのか予測も付きません。でも何とか助けたいんです。出来る事を知りたいのです!お願いですッ!――遙を―遙を助けてぇぇ!」

途切れ途切れに呟く様なの声は徐々に高ぶり叫び声になった。
ずっと押さえていた感情が流れ出したのだろう。
私はうんとかううんとか――要するに言葉にならない言葉を吐いた。

野々村はそんな私を見て笑った。その表情は先程とは違う、でも少し困惑した様な顔だった。






【続く】

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