幻想ノ櫻

 



【捌話】


「教授は本人が自覚していない潜在願望で人を殺める事が在ると思われますか?」

軽やかだった部屋の空気がじわりと重くなるのを感じた。
彼女の表情は先程からは想像出来なかった程、堅い。

「もっと詳しく話してくれないか」
「はい――これは私の事では無く私の幼馴染の事なのです。相談を受けまして――」
「幼馴染はここに連れて来る事は出来なかったのかい?」
「ここに相談したのは彼女にはまだ内緒にしてるんです。
何も収穫が無ければ余計に落ち込ませてしまうかも知れないから。」

「――賢明だね。詰まりその――彼女は君がそうやって神経質にならなければいけない状態と云う事かな?」
「そうですね、酷く憔悴しています」

そう云って彼女はわが身の様に悲しい顔をした。

彼女が最初に云った事の答えなら簡単だ、在る。
例えば感情が高ぶって衝動的に殺めてしまったとして、その被害者やその周囲への罪悪感やこれからの自分の身に対する不安、血を見ると本能的に心拍数が上がり興奮を助長し、本人の心に耐え難い圧力が掛かった時自己防衛として一時期何処かにその記憶を隔離して置く場合が在る。


元々素質――と云うのも妙だが精神が不安定であったなら自分の突発的に訪れた災厄から自らの精神を守る為に自分の中に自分を庇護する独立人格を創ってその人格に記憶を託してしまう場合も在る――のだが。

「彼女から受けた相談と云うのをなるべく詳細に貰いたい。情報が少なすぎるんだ」
「そうですね、では彼女から受けた相談からお話させて頂きます。私は絵師をしておりまして駅前の画廊で個展を開いておりました。そこに彼女が来たのです。思いつめた顔をして。すぐに相手は出来なくて――接客がありましたから――」
「桂子の個展は評判が良いのよ。私もお邪魔したけど話をする暇も無かっ――あ。」

洞口君はお茶菓子を頬張りながら突然話し出したものだから口から何やらよからぬ物が飛んだ。

「はしたないなぁ、お嫁の貰い手が無くなるよ。」
「そうなったら教授が貰って下さって良くってよ」

そう笑いながら彼女は塵紙で床に落ちたよからぬ物を拭いた。

「じゃじゃ馬はごめんだな。野々村君に譲るよ」
「あんな訳の分からない男はお断りです」

彼女の顔は猿の尻の様に真っ赤だった。
その時ドアがノックされた。

「誰かな?」
「じゃじゃ馬女程度にお断りされた下らない男です」

―――野々村君だ。

「済まないが今は来客中でね」
「名前を勝手に出された者の権利で何か特典は在りませんか?」

ドア越しで彼の柔らかい声がくぐもって聞こえた。

私は蒼井さんの表情を伺った。彼女は私の視線に気が付いたのかドアに送っていた好奇の満ちた視線の標的を私に変え「私は―――」と云ったまま自分の好奇心と秘密を保持する義務との間で揺れる様に言葉を詰まらせた。

少しの沈黙が流れ、私は彼の申し出を断ろうと口を開こうとした瞬間
突然ドアは開かれた。それもこちら側から。

洞口君だ。

「有難うは?」

ドアの脇でそう云って威張る彼女に

「洞口さん、感謝します。」そう云って跪くと彼女の手を恭しく取りその手の甲に口付けをした。
「ええ!?あ、あの、あ――」卒倒しそうな程顔を真っ赤にして彼女は取り乱した。

突然の展開に私と蒼井さんは唖然した顔のままとそんな二人を見守るしか無かった。

野々村は少し長い前髪を気だるそうに掻上げて至近距離の彼女に微笑んだ。
彼女は固まったまま石造の様に動けなくなった。それを良い事に彼女の耳元にそっと口を近づけて

「僕だって死んでもお断りだよ」
そう云って感情の読めない冷たい笑顔で微笑みながら服の袖口で自分の唇を拭った。

小さな破裂音。予想されうる状況に思わず目を背ける――が

「きゃっ!」

上がった悲鳴は甲高く、予想を裏切った。てっきり野々村が引っぱたかれると思っていたのだが、恐る恐る目を開けてみると野々村が洞口君の振り下ろそうと上げていた手首を強い力で握っていた。ここまで骨の軋む音が聞こえてきそうだ。洞口君の表情で痛みに耐えているのが伝わった。

「君はどれ程ご自分に自信をお持ちなのかは知らないがね。逐一突っかかってくるのが
目障りで溜まらないよ。僕が気に食わないのは分かるが少しは自粛してくれないかな。」

野々村の声はいつもより低く、目はとても冷たく鋭かった。威勢が良いとはいえ良家のお嬢さんである洞口にあれは余りにも――

彼女は彼の手を無理やり振り解くと彼から顔を背け暫く何かを堪える様に俯き、
震えていたが先程お茶を運んできた時の様に扉を暴発させて部屋を出て行った。

静まり返る室内。彼女が出て行った扉は壁に当たり、その衝撃で未だにぶらり揺れていたのを野々村がそっと閉め、様子を見守っていた我々を見て肩を竦め

「お騒がせして申し訳ありません。お客様は洞口さんのお知り合いでしょう。
気分の悪い思いをさせて申し訳ありません。」と深々と頭を下げた。

「いえ――」彼女は面食らったのか彼の顔を見てそれだけ云った。

「如何にも折り合いが悪くて――あ、僕は野々村と申します。初めまして。野々村修一です。」
「初めまして。蒼井桂子です。」

彼は私の机の前に立っていた彼女に応接用椅子を勧め、自分は向かいに立ち、私を招く様に自分の立つ席の横に手を伸ばした。

私が席に座るのを待ち彼も着席した。目の前の女性は思わぬ参入者に話を切り出して良いか暫く迷っていたものの、覚悟を決めたのか野々村にも私にも投げかけたのと同じ質問をした。

「自覚していない潜在願望――漠然とした言い方だなぁ。んー。そうだ、確か去年こんな事件がありましたよね。えーと――1954年、去年の6月辺りに新西蘭(ニュージーランド)でポーリン・パーカー、 ジュリエット・ヒューム両名は空想から派生した発想でポーリンの母親を鈍器で殺害。

空想からの移行故に彼女達における罪の意識は浅く、弁護人は「感応性精神病」だと主張するが判事は(空想壁はあれど至って正常である)と判断した――これなんかは一見現実的な殺意と云うモノが見られないんですが二人は同性愛の人でですね。二人で架空の王国を築き、片方は王女で片方は傭兵になりきって恋をし、肉体関係を結び、それに気が付いた互いの両親は当然彼女達を引き剥がそうとする。

――物語には欠かせない障害だよね。阻まれる二人、余計に燃え上がる感情、愛の障害なんて壊してしまえば良い…でガツンと。陶酔世界の中で行われた現実感の少ない殺人、本人達にしてみれば全ては仮想現実上で起きた物語だもんね。何処まで現実との区別が付いていたかは定かでは無いけれど非常に夢うつつな犯行だったのだろうね。でも事件前日の日記に「明日の決行に胸が高鳴り興奮している。まるでパーティー前夜の様だ」と記述している事から殺戮への願望は本人の自覚外にはあった訳だ。こう云う類の事では?」
※ジュリエット・ヒュームは後のミステリー作家アン・ペリー。これは実際にあった事件です。

妙に目を輝かせて野々村は彼女にそう問いかけた。しかし――

「君は何故そんな事を知っているんだ。日本の新聞にはそれは載って――」
「教授のお家にあった英字新聞を読んだんです。判決が決まったとかって。」
「―――君の家庭教師はさぞかし優秀だったんだな。このご時世に英語が読めるとは。」

僕は彼に付けられていた不自然に優秀な家庭教師に納得がいかず考え込んでいると
野々村から問いかけられたまま考え込んでいた彼女が首をゆっくり振った。



【続く】


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