幻想ノ櫻

 



【拾参話】


通された居間は二十畳程の大きな部屋だった。
部屋の脇には縁側があり、其処からは見事に手入れされる庭園が見えた。そしてそれを背景に――誰が打つのか将棋盤が置かれていた。

床の間には何やら変わった細工の花器に
桃色の花が綺麗に活けてある。

そんな事を考えている内に遙さんが茶盆に色々と乗せたものを持ってきて
「どうぞ、お座り下さい」と大きな茶卓に私達を座らせた。

「綺麗な花ですね。貴方が活けたのですか?」
そう問うとそれぞれの目の前にお茶を出しながらぎこちなく微笑んだ。

「あ、の、花は母が活けました。とても――綺麗でしょう?」

落ち付かない瞳孔で隠しきれない人見知り。
別段何もしていないのに彼女の顔は真っ赤に染まりながらも
如何にか客の相手をしようと云う努力が見えて非常に愛らしく見えた。

「綺麗です。この家も、お母様も貴方も、とても綺麗です。」

彼女はとても己に自信の無い人に見えた。別に同情した訳じゃないが
自信を持って欲しいと思ったからそう云った。偽ってる訳ではない。
確かに彼女は胸さえ張れば大層美しい。

彼女は驚いた様に目を見開くと言葉が見つからないのか、私にそう云われたのが不愉快に感じたのか、庭に顔を向け、
「い、今はあちらに見える桜が見ごろですわ」とだけ云った。

彼女の視線に釣られ庭を見た。成る程、とても手入れされている庭だ。

「此処の庭は誰が管理しているのですか?」
「母の――指示を受けて須藤さんが――」
「腕が良いですね」
「あの方は元々――その――この辺りで庭師をなさっていたらしいです。」

成る程、腕が良い訳だ。

「あのご老体でこの広い庭をお一人で管理なさってるのですか?」
「お若く無いし、刃物も使うお仕事なので心配なのですけどね」

彼女は少し慣れてきたのか落ち着いた口調でそう云った。

「そう云えば須藤さん、あの目――」
「あれは若い頃、喧嘩して相手に傘で刺されたそうです。」

さぞ痛かったでしょうね――と
彼女はまるで我が身の様に痛そうに顔を歪めた。

「でも須藤さんは見えてらっしゃるでしょう?」
「片目は見えるそうですよ。でもきっとご不便でしょうね」

不意に庭で鳥の羽ばたく音が聞こえた。
皆がそれを視線で追った。

それを切欠に遙さんは蒼井さんに個展の話を聞いた。

「まずまずね。結構売れてしまって――
今度の賞に送るものも書かないといけないの」
「幼馴染がご盛況なのは嬉しいわ。私も何か出来たら良いけど、
何も取りえが無いから桂子が羨ましいわ」

「私に空想は出来ないわ。貴方、本を書けば良いじゃない。」
「もう空想はしてないわよ。良い大人だもの――」

遙さんはそう云って悲しい様な顔で笑った。
野々村が不意に立ち上がった。

「将棋盤――」

まるで引き寄せられる様に部屋の隅に置かれたそれの元に向かった。
盤を撫ぜる。

「ああ、この感触、懐かしいな。何処かでこれをやった気がするんだ。」
皆が野々村を見て不思議そうな顔をした。別段云っても構わないだろう。

「彼は幼い頃の記憶が余り無いのです」
「まあ、そうでしたの?」
「戦時中は色々ありましたからね。繊細な人の神経には耐えられ無かったのかも知れないね」
「そうでしたか――」

二人とも同じ様な返事をした。
どう返したら良いか判らないから一番無難な答えを返したのだろう。
私は私で適当な理由をつけたが彼の記憶喪失に関して諒解を得ていた訳では無かった。

ただ、蒼井さんの話を信じる限りは、この家では何かが起こっているのだろう。不安要素がたっぷり詰まった中に新たな不安を入れる訳には行くまい。そして不安はその姿さえ分かれば不安になりえない。

だから適当な理由をでっち上げただけで対して深い意味は無い。
野々村は特に気にする事も無く駒を弄っては首を傾げていた。

「いつもは誰か打っているのですか?」
野々村は遙さんを見てそう尋ねた。

「いえ、特に――ただ昔父が来ていた頃、私や母を相手に打っていたのを覚えています。それを偲ぶ意味で出しているのでは無いでしょうか。いつもそこに出たままにしてあります。」

「それにしては埃が溜まって居ないなぁ。で、貴方も打てるのですか?」
「いつも母が掃除をしておりまして、打っている訳ではありませんが、
少し――父に教えて貰いました。」

野々村は子供の様な無垢な顔をして盤をとんとんと叩いた。
どうやら相手をしてくれと云う意思表示の様だ。

「私、弱い、ですよ。きっと――」
「僕なんて駒の役割から思い出さないといけない状態だよ?」
「お手伝いになれば良いですが――」

そう云って彼女はおずおずと、しかしながら嬉しそうな顔をして
少し気も逸るのか移動を早くして彼の前にちょこんと座った。

「宜しくお願いします」と胡坐をかいた野々村が頭を下げた。
「こちらこそ、宜しくお願いします」と微笑んで遙が云った。

蒼井さんはそんな二人を見て微笑んだ。
私も何だか嬉しい気分になった。

「野々村さんも同行をお願いして良かったわ。」
「そう?」
「ええ、遙が嬉しい顔をしていると安心するもの。
賑やかな方が気が晴れるでしょう?」
「まあそうなんだが。」

ここに着いて何時間か経っているのだが何も聞き出せずに居る焦りと
焦って無理やり皆の心中を乱す訳には行かぬと云う思いの狭間で非常に居心地が悪かった。

カタンッ――

私と蒼井さんが口を閉じ、しばしの静寂を楽しんでいると不意に音が鳴り響いた。将棋の駒の音だ。

そして「んー」と遙さんの考える声。野々村は静かだ。
また駒の音がする。間を置かずにまた鳴る。

「んー?野々村さんと仰ったわね?ここで本当に構いませんの?」
「あ、不味いですかね。」
「ふふっ。やり直しは無しですよ。」

野々村が追い込まれている様だ。
遙さんは久しぶりに打つ将棋がそれ程楽しいのか
先程までの萎縮振りとは打って変わってとても勝気な女性に思えた。

「あれ?飛車ってこう――」
「ああ、違います。この場合ならこう進んで――」
「そうか、少し思い出して来た。ならここに置こう」

駒が鳴る。

「えへへ、良いのかしら。――なら私はこう行くまでですわ。」

また鳴る。

「参ったな――」

鳴る。

「ほらそう行くならここで私が――王手っ!」
「そして僕が君の王を取る訳だ。」
「――――あ!」

どうやらどんでん返しがあった様だ。
驚いたのか遙さんはバネの様に身を跳ねさせた。

「油断大敵だね。」
「自信ない振りをなさってたのね」
「やりながら思い出してたのは本当だよ。
でも将棋は全てが戦略の上に在るモノだろう?全てが天然とは云わないよ」

「大した策士だこと!意地悪な打ち方をなさる。」

まるでお父様の様だわ、と彼女は頬を膨らせ、彼にもう一戦をせがんだ。

「今度はあんな手に引っ掛からなくってよ」
彼は涼しげに笑って駒を優しく鳴らし、彼女は悩んでまた唸り声を上げた。

私達は目を合わせて微笑み、そんな二人を見守っていた。
出逢ってまだ時間がそんなに経っては居ないのに二人はまるで兄弟の様にじゃれあった。

鳴る将棋駒、小鳥の囀り、木々のざわめき。この上なく平穏な時間。
私は目の前に出された茶を啜りながら蒼井さんに絵の世界の事を伺っていた。芸術世界と云うのも中々妙なモノであるらしい。

変わった人が多いと云う。人間は皆それぞれに変わっては居るのだが
その濃さが違うと彼女は云う。

モデルの前に姿を現さないのに絵は出来上げる絵師が居るとかあらゆる新人の元に姿を現す巨匠とか担当者にすら姿を表さない挿絵書きが居るとか色々、濃い人が居るようだ。

「遙が画廊に来たのは十日だったのだけれど、その日も来た事を不審に思う程の人がいらしていたの、だから随分と遙を待たせてしまって――でも何故こんな駆け出しの絵描きの所においでになったのか――」

「才能のある人は才能の在る人を呼ぶものなのかも知れないね」
「私はあんな雲の上の方に目を掛けて頂ける程の特徴なんてありませんよ。」

「特徴や才能なんて当人には一番分からないもんだろう?」と問うと
「そんなもんですかぁ?」と彼女は笑って湯飲みに口をつけた。

釣られる様に私もお茶を飲んだ。

そして何となく同時に茶卓にそれを置いた。
それが何となく気恥ずかしくて私達は目を合わせてまた笑った。

「嫌ぁっっ!」

急に悲鳴が聞こえたので驚いて二人とも腰を上げた。
野々村が盤越しに彼女の襟首を掴んで引っ張ったのか着物が少し乱れていた。

「野々村君、君は一体何を!?」
「何故こんな所に傷が在るんだ」
「そ、それは―――」
「遙――」

項から肩に掛けて無数の傷が在った。古いのから新しいのから沢山。
見える所の傷は大した事無かった。只着物に完全に隠された所は酷かった。
彼女が野々村に着物を引っ張られて驚いたのか乱れた裾から覗いた内腿にも
無数の刺し傷や火傷の跡が沢山在った。

白い肌に走るそれらが彼女を蝕む様にしがみ付いている様に見えた。
そしてそれは穿った見方をすれば淫靡にも見えた。

胸の内にあった悪い予見が少しずつ形になりゆくのを感じた。
恐れていた事が今、目の前に具現化しようとしていた。

見なかった事ならまだ妄想で済ませる事が出来よう。
しかしながら見てしまった事は明らかな現実になる。
余程の錯覚で視界が歪んでしまってい無い限りは。

彼女は慌てて着物を治しながらこれは自分の所為なのです、と辛そうに云った。そして「夢遊病と云う病があるのはご存知ですか?」と彼女は小さな声で私にそう問いかけた。


夢遊病――夢うつつの徘徊者。知らぬも何も私の専門内だ。
彼女はそうと知って私に問い掛けているのだ。

大概の人は問い掛ける時、相手の返事に何かしらの予想や願望を持つ。
彼女は一体私に何を望んで居るのだろうか――

私はそっと彼女の顔を覗き込んだ。
瞳がゆらりと揺れた。

不意に微かな音を立てて襖が開いた。

「遙、お食事の用意をするので手伝って頂戴」
志津子さんの声は優しげだがとても冷たい声だった。
いや、何かを押し殺している様な息苦しい声だった。

不意に志津子さんは私の後ろに居た野々村を見た。
彼女の瞳もまた、揺れた。

その揺れた瞳の淵にある粘膜は今まで泣いて居たかの様に
血の様に紅く染まっていた。



【続く】


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