極楽鳥ノ束縛




【捌話】


繋がりたい想いは拒絶への恐れを孕む。
優しくされると対比する自分が醜く感じてそれにも傷ついてしまう。

人と傷つかずに繋がれない、そんな達観が僕を孤独に居る事を正当化しているだけで本当は、きっと誰よりも何かを欲している。

「傷つく事を恐れては何も得られない」
そう人は云う、でも傷つく事に恐れを覚える前から僕は何も得られなかった。

そんな理屈、選ばれた人間にだけがまかり通るのであって
僕の様に選ばれもせず何も持って居ない人間には理解出来る筈が無い。

選ばれなかった僕は人に相手をして貰えなくて当然で
結果、本に逃げた、本にしか僕の心が飛翔するのが許されない気がしていた。

だから僕はずっと本と対峙していた、人と交流を持たない僕は
ただただその情報を思いのまま蓄積させる。その空虚。

あの日もそうだった。新入生歓迎に先輩方が招いて下さった酒の席で
話し相手も居ない僕は壁際で本を読んでいたがそれすら、誰も気が付かない。

ひょっとしたら僕が生きて居るなんて想像の出来事で――
本当は霊魂か、空気か――人の目には見る事の出来ない微生物となって
この空間に存在しているのではないか、とすら思えた。いつもの、、習慣で。

僕は皆が酒を飲み、座の姿勢を崩し、まるで鳥獣戯画の宴の様にあちらこちらで面妖な姿を晒しているその空間を虚ろな思いで見ていた。
楽しげなざわめき、その中で野々村の荒々しい声は酷く新鮮に耳に伝わってきた。

「触るなッッ!」

ざわめきは刹那凍りついたが騒ぎの内容を知るべく
野々村の傍からざわめきがまるで波の様に再活動し始めた。

認識などされて居ない僕に波が及ぶ事は無く、程なくして騒ぎの元は
会場を出て行った、その扉の音だけが僕に与えられし情報だった。

静かだ、僕の世界はとても静かだ。
人の世界は閉ざしてしまいさえすればこんなに平安に満ちている、と孤独に満足する事がある。

誤魔化して、誤魔化して、何も見えずに自ら作った仮説に踊る。

僕の世界は仮定ばかりでちいとも要領を得ない。中も外も不安に溢れている。その点、本は良い。嘘を付かないし印刷されているから動きもしない。
少なくとも――本を読んでいる間はそれ以外の事を感じずに済んでいた。

人の様に気まぐれに僕を翻弄する事も無いし、沢山の世界を僕に見せてくれる。両親がそれしか僕に与えなかった事も手伝って、僕は本が好きだった。

嫌な記憶を整理して淘汰する事が出来ない僕は森の中に葉を隠す様に
沢山の情報を頭に詰め込んで思い出す確率を下げるしか無いのもあって――

嫌になるほど記憶力だけは人並み外れて良いんだ、
覚える価値のある経験など積み重ねる事など出来ない癖に。

皆が僕を哂う、僕も僕を哂う、心が磨り減る――
その減った隙間を詰める気で情報を取り込む。

あの日もそうだった。
彼との関わりの始め、改革の序章――
僕はいつもの様に授業の合間、研究室で本を読むつもりで室内に入った。

いつもなら不真面目な先輩はこんな合間の時間、ご婦人に声を掛けているか
喫茶店で時間を潰している筈なのにその日に限っては論文の提出期限が迫ってるらしく全員がその部屋に居た。

研究室の机は質素なもんだ。長い机に幾つかの粗末な椅子。
僕に割り振られた場所には先輩のご友人だろうか――見知らぬ男性が座って
隣の席の女史に声を掛けていた。

「あの、すいません。其処、僕の――」
男は僕を一瞥すると持っていた鉛筆で前に居る先輩に声を掛けた。
先輩はにやにやと嫌な笑い顔でこっちを馬鹿にする様に見ると

「使用中だ。見て分かんねぇのかよ」とこっちを睨み、僕が何も言えずに居ると再度、目の前の本に視線を落とした。

「あ、の――でも、そこ――」

ここにしか、僕の居場所は無い。構内の何処かに座っていても
何処かの店に入っても僕は心の奥で人の視線が怖くて本など集中して読めない。

その点、先輩方は違うだろう。何処に行っても恥ずべき所など見当たらないし視線など気にする程、心も弱く無い。だから――

「そこ、僕の席――」
「お前の席で、宮脇女史の隣の席だ。気くらい利かせろよ。コイツは研究室は違えどお前にとっては先輩で在る事は変わりねぇだろがよ!」

先輩が声を荒げる。皆が僕を見る。僕は――

その皆の視線だけで首が絞まり、酸欠になり――馬鹿の一つ覚えの様に
頬を、項を垂れる汗にあの時の様に進歩も無く

どうしたら良いか分からずに無理やり笑顔を作ってへらへらと笑っていた。

「放って置け、こいつ、キチガイだから」
先輩がそう言って目の前の男に言い、男はなるほど、と女史に向き直り
僕を無視して会話を進めた。

女史が眉間に皺を寄せて男に何か言おうと口を開いた途端、
「恩村、こっち空いてる」とぶっきらぼうな声が聞こえた。

酸欠で視界が朦朧とした中、声が聞こえた窓際はとても白く、明るく、
その光源を背にした声の主の顔など見える筈も無く
ただ、迷子の様にふらふらと声の残像を追った。

声の主は近づいても猶、その姿は影に黒く塗られ表情が見えなかった。

「あの――」
黒い影は自分の腰を掛けた場所のすぐ横を何度か叩いた。
「此処、座れば良い」
「でも此処は座る場所じゃないよ」
「椅子だけが座れる場所だと思ってるのか?」

影は馬鹿にした様に笑ったけど嫌な感じはしなかった。

「少なくともそんな場所に座って良いとは教わってないよ」
「育ちが良いんだね」
「そうじゃなくて――」

兄貴は、そんな事しなかったから、、

僕には良く出来た兄が居た。村でも一番優秀だと皆が言っていた。
それが先の戦争で逝ってしまった時の両親の落胆は酷かった。
死に急ぐ様に髪の色素は抜け、腰は曲がり、二人してぼおっと空を見上げる時間が増えた。
そして――

兄が居なくなって両親の心の支えは今まで見向きもされなかった僕になった。勝手なもんだ。

それでも今まで食べさせて貰い、ここまで大きくなれたのは両親のお陰だと
報いようとはしたものの、努力すれば努力する程、両親と村の皆は
落胆したのが手に取る様に分かった。

兄は一教わると百理解する様な勘の良い人間だった。そしてとても品行方正だった。だから一教えて一しか覚える事が出来ない僕を村の人は出し殻だと馬鹿にした。きっと優秀な兄を持つ人間だからこの弟も――と期待したのだろう。

その見えざる期待と重圧を感じた僕は
兄の様になろうと思って


――思って


――そうしたら突然まるで故障した様に人と巧く話せなくなり、
人目が怖くなり、妙な発作が起こる様になった。

その結果、人と関わると云う事を極力しなくなり、書物に逃げ込んだ結果、
この大学に入学するだけの知識が付き、村人は僅かに喜んだ。

兄の様だと――

でも僕の中の兄貴の残像は消える事は無かった。
今、この瞬間にも僕は兄の残像に捕われ続け、、目の前の人間の好意を踏みにじろうとしているのだ。

自分には滅多に伸ばされない手を振り払おうと――

影は再度、自分の横を叩き僕に座れと合図した。
僕は――兄貴ならきっと座らないであろうと予測できるその場所に
愉悦と不安を抱えたまま、おずおずとそこに腰をゆっくり下ろした。

この窓際からは室内が全て見渡す事が出来た。
その上、背中を照らす温かい光が僕を影で塗り潰し、その存在を曖昧にする事が出来た。

此処に居るのは影になった誰か、であって決して挙動不審で変な発作を起し
キチガイ扱いされる恩田太一朗と云う男なんかではない訳だ。相手からは認識されないのに相手を認識出来るとは――

「此処は良い場所だね」
「うん」
「有難う」
「うん」

珍しく自分から相手の顔を見てみよう、と思った。
そしてゆっくり横に顔を向けて――

僕は驚いた。彼は野々村君じゃないか!
思わず手に持っていた本を落としてしまった。それを拾う余裕も無く動揺から立ち直れずに
じっと彼の顔を見たまま体が動かせなくなった。



【続く】


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