極楽鳥ノ束縛




【漆話】


途方に暮れついでに僕はよく自身の姿を見失う。
否、見つかった験(ため)しが無いのかも知れない。
ひょっとしたら自分など存在せぬのかも知れない。

落語に出てくる幽霊の様な曖昧な存在がこの世に在るとしたら
僕はそれかも知れないと疑ってしまう時が在る。そうで在って欲しいと云う希望とそうで在ると恐ろしいと怯える気持ちで胸が掻き乱されながらそっと鏡を覗き込む。

姿は、在るのだろうか――

ぬっと枠から現れる姿は長い前髪で世間を遮断した陰鬱なる異形が映るだけだった。その表情は如何にも愚鈍で何の役にも立たぬものに見えた。

鏡は正確で在るのだな。ちいとも誤魔化してはくれぬ。
覗き込む度に冷酷さに悪態を付きながらも、
結局――僕はそんな行為を毎日繰り返していた。

折角映ったのだから笑ってみようと偶には思う。
そして笑ってみれば、そのまた醜悪な姿がさらに醜くなって僕の心は深く深く傷ついてしまう。

僕には何も似合わない。人の事を思う事も出来ない、醜い僕の居場所は何も無いじめじめとした真っ暗闇にこそ在るのかも知れない。そう結論が出ても、一人で生きられる筈も無く僕は――嫌がりながら人と付き合う無礼者。

一人になりたくて一人で生きられぬ厄介者。
僕にはもう生きて居る事が辛くて拷問にしか思えない。

それでも厄介者の癖に心残りは人並みに在って死ぬにも死ねぬ。
言い訳ばかり寄り集めては死ぬ事を先送りにしている不甲斐ない人生だ。

僕は――

いっそ人を殺したいと思っている奴は死にたく無い先の明るい人間など手に掛けず、この厄介でしか無い醜悪な僕を思う存分捻り殺してくれれば良いのに、、、そんな無益な事を毎日、毎日思う様になった。

毎日毎日、仕事で解剖された献体を見る度にその滅茶苦茶に切り刻まれた静物が酷く羨ましく見えた。これ以上彼らは世俗のしがらみに苦しまずとも良いのだな、と思うと床にその欠片を投げつけてやりたい程の嫉妬に駆られていた。

触れるとまるで綿に染みたインクが流れる様に現実感の伴わないどす黒い液が染み出す。その肉片を解剖台に押し付けると銀色の冷たい台に放射線状に赤が侵食し蝕む様に広がる。

僕はそんな時夢想する。
自分の手首を骨が軋む程握りしめながらその苦痛とその不気味な世界を伴に味わう。

この体から全ての血液を搾り取って真っ白な画布に染み渡らせ、
僕のこの言葉にならぬ叫びを記せたなら、、僕は誰かに何かを知って貰える事が出来るだろうか。

死と引き換えに――何て甘美な響きなのだろう!
自ら消える事と理解を得る事が一度に手に入るなんて!

胸が高鳴り手元に残った研究生の使い古しのメスを皮膚に走らせると焼ける様な痛みが走った。皮が切れただけなのにこの痛さだ。そう思うだけで恐怖に支配されて夢想から現実に呼び戻される。

結局、僕はずっとそんな事を繰り返していた。
そして繰り返し殺人鬼との邂逅を望む日々。

生きる事も一人で出来ない癖に死ぬ事も人任せ何て、
本当に僕は情けない。世界はまっ暗闇にしか見えなかった。
ずっと永遠にそんな世界に佇むものだと思っていた。
光など次元違いの存在なのだと思っていた。

あの日までは――




彼と初めて出遭ったのは入学式の
――いや、本当は試験の時から僕は彼を知っていた。てんで違う世界の生き物だったから僕は認識外に彼を追い出そうと無意識に努力をしていた。

彼の立ち振る舞いはとても美しく、そして優雅で――決して何に興味を寄せる事も無くきょろきょろと周りを見渡しながら正門を潜る多勢とは違い颯爽とわき目も振らず歩く様は大悟した僧の様に神々しく見えた。

風貌からしても彼は普通でなかった。
外国の本に出てくる妖精の様だった。敢えて言うなら希臘(ギリシャ)神話に出てくるナルキッソスとか云う自らの美しさの余り他者を愛せず湖にその身を沈めて死んでしまった少年の様に僕の目には映った。

艶やかに日光に色づく淡い色彩の髪も、透き通る様に白いその肌も、薄く色の浅いその唇も――食事や生活環境諸々、到底僕と同じ様な生態が在るとすら思えない程、遠い遠い存在の様に思えた。

――彼から目を逸らそうとすればする程に視線は彼を執拗に捉えていたから
結局の所はきっと誰よりも彼の事を見ていたのでは無いかと云う錯覚さえ覚える程だった。

そんな人と一緒の研究室に志願するなんて――僕は本当に、奴らの云う通り救いがたい間抜けだ。

閃光などと共に行動して、誰が僕の存在など認識してくれよう。いや、それこそが本望だったのかも知れない。それを省いても僕にはこの研究室に入りたい訳が在った。


耳元に残る記憶の中の声が僕の脳内を駆け巡り、頭痛を呼ぶ。
視界がゆらりと揺らぎ、僕は真っ直ぐ立っていられなくなり壁に手を付いた。

汗が滴り落ちる。何滴も何滴も乾いた地面に落ちるのを朦朧とした中、他人事の様に見ていた。

耳元で不快な声が響く――

「出がらし、幽霊、間抜け、死んでしまえ、ただ飯喰らい、親が可哀想だ」

声も声にならぬ声も耳に木霊する。皆が僕を嫌悪で持って迎える。
眉間に皺、斜めに構えて見られて、ああ、そうして理解して貰おうと僕が近寄れば逃げるのだ。

「馬鹿がうつる、近寄るな」

僕は――要らない存在なのかな、そうなんだろう。
皆が僕を嫌い、皆が遠い。涙も出ない。
僕はもうどんな顔をするべきか分からず只へらへらと笑っていた。

「笑ってる、こいつ気持ちが悪い、狂ってる」

狂ってる?僕が?君が?

――きっと僕だろう。
僕は奇妙で愚かで醜くて生きて居ることが大迷惑な人間なのだ。
だったら何故生きて居るのだろう。そんな事は明白だ。

死ぬのが怖いから生きて居るのだ。生きて居たいから生きるのでは無い。
誰にも必要とされないまま、無意味に生きて誰の何処にも残らず死ぬのが怖いのだ。

ああ、此処は真っ暗だ。たった一人だ、孤独で寒い。
しかし誰か居て、居なくなるのはもっと怖い。

だからいっそ誰も居なければ失わなくて済むのだから――
いっそ認識などされない方が――良いんだ、絶対。

理屈はいつも僕の首を絞めながら開放してくれる顔をする。
そんな錯覚に素直に踊らされてれば良いのに素直でない僕は只、、

何を模索しても寂しくなる、解決の見えない底なしに佇む。
一人が怖い、人と接するのが怖い、もう十分僕は傷ついて生きてきた。
もうこれ以上、僕を追い込まないで欲しい。でも寂しい、誰か理解者が欲しい。

傷つきたくないのに触れ合いたい。頼られたくないのに頼りたい。
積極的に理解されたいと行動は起せないから誰かが勝手に僕の心の扉をこじ開けて欲しい。

否定などせずに話を聞いて頷いてくれる人が欲しい。大丈夫だと繰り返し言って欲しい。

自分の事など全て誰かに委託して引きずって欲しいんだ。
身勝手な願いだなんて分かってる。

結局の所、僕は毎日そんな葛藤を繰り返している。
本当は分かってるんだ。孤独を好んでいる訳では無い事を。



【続く】
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