極楽鳥ノ束縛




【廿壱話】

春が過ぎ、夏になろうとしているのに風が強い所為か少し肌寒い。
そっと腕を体に絡みつけ暖めながら少し前を歩く男の背を見つめていた。
丸まった背が陰湿な雰囲気を出していた。それは多分自分の姿とさして変わりは無いだろう。

男は九条柳七と名乗った。
自ら声を掛けてきた癖に彼は酷く僕を警戒していた様だったが野々村と会話して欲が出た所為だろうか。
僕は逃げ腰の彼に執拗に食い下がった。
 
やはり彼は人を殺めたのだろうか。
警察の言葉を聞きたがった。何度も「何も――」と言ったが
彼は語尾を荒げて再び問うだけで平行線を辿っていたから僕は言う必要も無い様な身の上話と、
そして彼を追っていた事、そしてその理由を話した。

――結局の所、僕は、、人殺しを待っていたのです
 

ふと空気が緩み、彼は「ああ…」と気の抜けた言葉を出しさっさと僕に背を向け歩き出した。
後を追うと彼は歩く速度を速めて僕を撒こうとしたけど無気力な僕はどうしてああも剥きになったのか――
追い抜き、そして前へと立ちふさがり彼を真っ直ぐ見据えると彼は観念した様に大きく深呼吸をした。

そして今に至る。
 
何の花なのか、土手に咲く花が陰と成り地にはらはらと落ちて行った。
彼はそれらを荒々しく蹴り、そして踏みにじった。
 
「君は食事を頂く時に何か言うか?」
「教えられた訳ではないけど、、手を合わせて祈るよ。家族は皆そうしていたから――」
「食事を食べる時、人は戴きます、と言うでしょう。全ての動植物は命を奪って生きているのです」
 
男は唐突に、僕の方を向きもせずにこう言った。まるでその言葉は独り言の様に遠く響いた。

「人は誰にも消費をされないよ…」
人は動植物に滅多に食べられないではありませんか、そう反論した後、一瞬犬に近所の誰それが無残に食べられたと言う話を思い出し、その時の風景を思い出していた。他人
事だからそう思ったのだろうか、そう感じたのだろうか。直接見た訳では無い、あくまで人聞きでしかないその風景を僕は想像し、酷く背徳的な気持ちになった事を覚えてい
る。
 
夕日が憂鬱に道を照らす時刻に肢体から赤く垂れる粘りのある生命力たる雫と、はみ出すハラワタ。苦悶に顔を歪めその顔も思い出せぬその人間は事切れたのだ。赤い世界に
黒い影、そして日の色に消される血の色。ぽとり、ぽとりと。命が地面に吸い込まれてその誰かは――。いや違う、あの風景の事切れた誰かは――
 
――僕だ…
 
 
「例外でしょうか…」
男の声で現実に連れ戻され僕は少し驚いて痙攣してしまい、それを恥じつつ辛うじて態勢を整える様に返答した。
 
「話が一向に、、見えません」
「貴方は何故話せるのです?誰かに教わり、その分相手から労力と時間を奪って情報を得て君は人の言葉を話、ここで話をしている」
「それは戴いた℃魔ノはなりません!」
「知恵を戴いた。動作を盗んだ。詰まり――」
「辞めてください!」
 
そんな事言い出したら…
生きている事が、こうして話しているという事が、息をする事が罪悪感に拘束され、気道を塞ぎ、ソレに殺されそうで怖かった。
人様から何かを奪ってでも生きる事に執着出来る程に自分に対して価値を見出さなかった僕は、別の言い方をすると見出したくなかった僕は――
人との関わりを示唆される事に酷く怯え、息が苦しくなった。

「理由が無ければ生きて行ってはいけない。と言う気持ちはそこに繋がる気がしませんか?」
「理由が無ければ…そうかも知れません。夕べも、そして朝も僕は命を戴きました。理由も無く、僕は不平不満を零しながら生きている。生きていたくもない癖に、他の命を
喰らって生きて居るのです。それが苦しいのかも知れませんけど…」
「貴方は先程、人殺しを待っていたとおっしゃった。それは詰まり私であると見出した、と言う事ですよね?」
 
彼は不思議と嬉しそうに目を細め、そう問いかけた。
 
「違いましたか?」
「どうでしょうか。ただ、人を殺せばこの世の中のルールでは罰せられてしまう」
「そうですね」
「貴方は私にそれを望む…」
「――すいません」
 
「貴方に――」
男の顔は酷く青白かった。それは夕日に染まる所かその陽の赤さを吸収し、彼の青さと相まって深い紫を帯びた闇をその顔に称えた。
それは酷く不気味な表情で――情けない事に僕の足は怯えて震えた。
 
男は次に続く言葉を続けず、ふと笑った。それがどういう意味を指すかは僕には皆目検討も付かなかった。
「貴方に――消費するだけの価値は在るのでしょうか…」
言葉が出てこない。風邪は知らぬ顔で草の頭を撫ぜ、ざざ、と音を立てる。
「価値など――」

分かっていて狡猾いじゃないか!価値のある人間などがこんな事を願うだろうか、死神を待ったりするものか!誰にも、誰にも必要とされぬ僕に価値など――
わなわなと握ったこぶしが震えるのが酷く屈辱だった。
 
自分は死≠キらも引き寄せられぬのだと思うと果てしなく絶望した。そんな僕の顔を見て呆れたのだろう。九条は鼻で笑い――
「死神だって――人を選ぶのです」と言い、さっと僕に背を向けた。
「嗚呼、先生…」
 
男はふいに僕の背後をうつろな目で見るとふらふらとまるで操られるかの様に土手を下っていった。
僕の方を振り返りもしない。
僕も他人から見ればあんな具合なのだろうか、と思うと人の振り見て何とやらだな、と首を竦めながら死神に振られてしまった絶望と少しの安堵を心の中でかみ殺していた。
九条が追っていった着物姿の男は優雅に彼を振り返ると微笑んだ。
 
彼は犬の様にそれからずっと男の一歩後ろを付いて歩いて行った。
小さくなっていくその背を眺めながら僕はこれからも強制的に続く息苦しい日常へ思いを馳せていた。

***            ***

強い人間ほど、辛い時には心を閉ざし、その内部に引きこもってしまうのか。
現場検証が終わり、未だ地の跡も残るこの部屋に留まりカンバスに向かう蒼井を心配して遥と須藤が泊り込んで面倒を見ているらしいが
蒼井はじっと真っ白いカンバスに対峙したまま、視線は虚空をさまよっていた。
 
食事を出しても余り喉を通らないらしく、体重が軽くなって綺麗になると冗談交じえつつ作ってくれた二人に申し訳なさそうにするだけで
明るく振舞うもその心底を占める絶望がひしひしと伝わるらしく二人は胸を痛めつつ見守っていた。
 
「相変わらずですか」
「魂が抜けた様に、こうぼーっと…」
 
馴染み深い彼女が、殊更明るく快活だった彼女がそうなっているのは私にとっても胸が痛かった。
この教授室に集まった人間は皆、同じ思いだったのだろう。
個展を切欠に仲の良くなったらしい宮脇女子や久我君も、元々同級生として馴染みの深かった洞口もいつものけたたましさを押さえぐっと唇を噛んでいた。

「ここで深刻な顔をしていたって始まらないでしょう」と野々村はいつも通りに見える言葉を吐きながらずっとあの事件の事を考えているのを私は知っていた。
「何か出来る事はあるかしら?」と宮脇
「個展を閉めてらっしゃるのでしょう?」と久我
「まだ終了まで期間があると言ってたのに、そんな気分にはなれないでしょうね」と洞口
 
三人は顔を見合わせ「私達で…して差し上げれば良いんじゃない?」と言い、遥の顔色を伺った。
「そう…ね。でも――」
「その方が良いね」
遥としては蒼井の事を出来るだけそっとしておくつもりで、三人からの申し出を断るつもりで居たのだろうが野々村が口を挟んだ。
「死んだ人は戻らない。人生は生きている人間の上に在るんだ。食っていかねばならない。生活していく必要が在るんだ。
戻ってくる場所を用意して待ってやるのは大いに有効だと思うよ、僕は」
 
「あんたなんかに云われなくてもやるわよ!」
「何処かで猿がきゃっきゃと鳴いている様だ」
 
おどけて耳を澄ます野々村に向きになって怒る洞口。
それはまるで『平和であったいつもの時間』を何とか取り戻そうと抗ってる様に見えたから私達は気乗りはしなかったけど笑う事でそれを賛成とした。
「では私は暫く研究は中止と言う事で――」宮脇は率先して事を進めるつもりだろう。
 
元々、女性も一社会人として世の中に認められるべきだと豪語する彼女の事。本当は一つ店を構えて商売をするという事に大きな関心もあるのだろう。
一度個展の会場の外で来場者と揉め事が在ったと聞いている。
何でも「女だてらに絵で身を立てる」とか「どうせ嫁入りまでの手慰み」が如何とか看板を見て文句をいった人間との口論になったとか。
客の対応に忙しかったので何も出来なかったが――と蒼井が気に病んでいたのを思い出し、私は少し心配をしていた。
 
「私は蒼井さんを強く支持したいと前々から思っていましたの!」と案の定宮脇女史が鼻息を荒くする。
女性でも能力のある人はどんどん社会に認められるべきで、折角の才能に恵まれた人材をつぶしてしまいたくないとの事。
久我は穏やかに女史に頷き 洞口は「そうよそうよ!」とまるで喧嘩でもしている様に元気に声を上げた。
「そう思うなら、遥さん。蒼井さんの面倒は須藤さんにお任せして彼女達が妙な事をしないか監督して貰えないだろうか」とため息混じりに頭を下げ、彼女は苦笑しながら「
わかりました」と頷き、元気良く部屋を出て行く三人の後に続いた。
 
正直、この事件に余り遥を巻き込みたくなかったのもある。
何か役を与えてなければ彼女は蒼井を心配する余り、事件にどんどん首を突っ込む事になるだろうが
彼女自身、以前の事件の傷がまだ癒えていない。
 
未だに毎月送る親への手紙、帰ってこない返事に胸を痛めながら、
虐待の痛みを思い出し夢にうなされる日々を送る彼女にそれ以上の負担を掛けたくは無かったから丁度良かったのだ。
本当なら彼女にも心の具合を管理してくれる様な人間をつけるべきなのだろうが――
そう思い、野々村を見るも彼は何か考え事をしている様でとてもじゃないが話しかけられる様子ではなかった。
 
諦めて私も仕事を再開させるべく目を机に落とすと「教授」と野々村の方から声を掛けてきた。
 
「なんだ」
「樋口さんから何か――」
「いや、聞いていないよ。連続してこの首切りだろう?家にもまともに帰ってきていないよ」
「それは知ってますが連絡も無いのですか?」
 
「我々は一応関係者だからな。あいつなりに気を使って報告をしてきていないのかも知れない」
「そうですか、分かりました」
 
すっと腰を浮かせると彼は軽やかに部屋を出て行き、どうやら隣の研究室に入ったようだった。
そう云えば、久しぶりに研究室には恩田の姿が見えた。珍しく野々村と話していた時にこの男も人と会話が出来るのか、などと思う程、彼は陰が薄かった。
ふと部屋を出て研究室を覗くと矢張り窓際には二人が居て何かを話していた。
 
以前、野々村が彼の顔には『彼の顔には死にたいと書いてありますし。需要と供給が遭うならそれはそれで幸せな事かも知れません』などと突き放した言い方をしていたが矢
張り友人として心配をしているんじゃないか、と少し安堵した。
偶に見せる彼の特異性が私には杞憂するところだった。
 
出来るなら普通の青年らしい年月を送って欲しいと少なからず願っていた。
不意に恩田と話している野々村の表情が真剣になる。
 
何か、何かあったのだろうか。と私はまるで父親の様な気分で見守っていたがいつまでもそうしていられない。
お飾り教授と言えども最低限の仕事位はしておかないといけない事を思い出し、私はその場を後にした。
 
【続く】


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