極楽鳥ノ束縛




【拾捌話】

*** ***


「六華教授ったら!」
不意に机を叩く音が聞こえ思わず飛び跳ねる様に我を取り戻し
周りを見回した。
私が座る机の前で腕を組み仁王立ちする蒼井さんと後ろに座り涼しげな顔で茶を飲む野々村と
その向かいに居心地悪そうに肩を縮める珠城敬治に彼らをここまで案内してくれたのか
今しがた部屋から出ようと扉を開く女学生が見えた。

扉の隙間から洞口君の顔が覗き室内に視線を巡らせ在る一点、
具体的には野々村の座る位置を見ると何か言いたげに口を開いたが
出て行こうとする女学生に押される様に顔を引っ込めた。

ふと目の前に仁王立つ婦人から大きなため息が聞こえたのであわてて襟を正し
彼女に向き直った。

「もう一度、何処から聞いていただけば宜しくて?」
「私の記憶を埋めてくれるつもりなら部屋に入る所から頼みたい所だね」
「やっぱり…」

呆れた顔をされてもどうしようも無い。
夕べの出来事のせいで寝不足になるわ、白昼夢を見るわで取り繕う術が無い程だった。

いつの間にか目の前には山の様に積まれた書類。
中途半端な勤め方をしているし、それを隠そうともしていないので
如何してもこう言う誰がやってもいい様な事務作業ばかりを押し付けられてしまう。

また胡乱になっていたのか蒼井さんは机に手を置き私を睨みつける様に顔を迫らせた時
その背後に座っていた珠城が立ち上がり蒼井の肩を押さえ少し落ち着く様に諭し
そのまま彼女の手を引いて椅子にエスコートしていた。

真っ赤な顔で何度も手を払おうとして止める蒼井が初々しくて思わず笑ってしまうと
彼女は珠城に手を引かれ動揺しながらも私をきつく睨んでいたが赤面しながら睨まれたとて堪え様が無い。
とりあえず余り茶化すと話が進まないので「すまない。もう一度…」と彼女に話を促した。

「またか、と思われるでしょうが、性懲りも無く縋りに来たのであります」と
蒼井も襟を正しそう言った。

「縋る?」
「ええ。具体的に何が起こっているのかは分かりませんが…」
「順に話をしてくれ給え」
「はい。まず…」

話の概要はこうだった。
蕎麦屋で聞いた様に同じ賞を受賞した女性が首を刎ねられ殺された。
その遺体が一部激しく損傷している事から激しい怨恨か、はたまた猟奇的な趣向によるものかと思われ
警察も彼女の身辺を探ろうとしたものの非常に知人友人の類を持たぬ人間の様で話を聞こうにも相手が居ない。

身内も先の戦争で無くしたらしく義理の間で虐げられて来た様で
それを恨んで加害者になると言うならまだ分かりやすいが被害を受ける人間とは思い難かった。

「割と意固地になる人、可愛げの無い」
「無口で地味。何を考えているか分からない」

親戚も近所に住む人間もそう言うばかりで何一つ有力な情報は得られそうに無い。
蒼井さんとて同じ事で授賞式で知り合い、展示会の件で「一人で会場を借りるお金が無い」との話から
一緒に出そうとしただけの間柄らしかった。

目撃されているのは地面を擦る様に歩き、その姿を隠さんとばかりに背を屈め歩く
不審男性のみで近所の話を聞いている限りはその人が犯人で在ると言う説が濃厚らしい。

「だってね、教授…真中さんの家からの門からすっと庭の方に回って
何か手にして出てきたって言うじゃない。それが怪しく無くて何が怪しいのよ、ねぇ」
「先入観で話をするのは良くないよ。何か証拠の様なものは?」
「それがねぇ?指紋一つ出てきて無いとか。絵が目茶目茶に破られてたとか…
アトリエが絵の具と血とで滅茶苦茶だったとか…」

蒼井はそう言って身を震わせた。
私は「その話は蕎麦屋で聞いたが…」と言うと彼女は眉間に皺を寄せ神妙な顔をした。

「私あの賞に応募してみようと思った切欠って在りましてね。以前その賞で
鬼才、だとか天才、だとか言われた方がいらっしゃったの。それこそ第二の中尾!何て仰々しく
言われてた人が…名も無い人だったけどそれで一気に名が売れて…私はその方にも大分影響を受けて
同じ賞を取ってみたいと思ったの」
「ほう。どんな絵か見てみたいね」
「見れると思うわ。明日当たり新聞に出ると思うから…」

楽しい話題を話す顔では無かった事でどう言う意味合いで新聞に出る≠フかは分かった。
私も釣られる様に神妙な顔をすると蒼井さんはぼそりと「また脳が無かったの」と言った。

珠城が少し考えた後「言おうか言うまいか迷ったんですが…」と前置きをして話し出した。

「賞は元々中尾先生が立ち上げになられて…毎年二人決めるんです。審査員は中尾先生初め
画廊の李藤さん、そして他の画家の先生方。僕は良くは知らないのですが…」と頭を掻き苦々しく笑った。

「今回は蒼井さんと真中さん、その前は覚えてないなぁ。そしてその前がその鬼才と詠われた方と
その鬼才と甲乙つけ難いと言われた方でした。その方はその年に失踪なさったとか…でその前が僕と
名前は忘れたけど女性でその方も失踪。その前が深江さんと…誰かな…その辺は分からないけど
こう続けて起きると失踪の多さが目立ちますよね…確か中尾先生のお父様もお祖父様も失踪とか…
中尾先生が供養と言って庭に植えられている花に水を上げてらした時、そう伺いました」

「まあ!表現馬鹿で他に興味を示さないと言われる中尾先生にも花を愛でるご趣味が在るとは
意外な事!」と蒼井が笑った。少し落ち着いた様だ。
「絵と同じ感覚なのでしょうか、活花も珠にされるんだよ。よく玄関に飾ってあるが
事に庭のストレチアは大事になさってる様で毎朝水を欠かさないんだ。そんなに大切になさってるなら
あんなに沢山在るのだから玄関にも活ければ良いのに、と笑ったら怒られた事が在ってね」

珠城はそう言って蒼井さんの方へ視線を投げ微笑むと
私に向き直り少し深呼吸をした。

「夕べ家まで送っていったのですが蒼井さんが月明かりに照らされた家の玄関を見て
違和感を覚えたと言ってですね…心配だから家で警護をと言ったんですが是が非でも!と
断られまして…でも彼女が朝玄関を出るとその違和感の理由が分かったそうです」
「異物でも在った?」
「異物…と言えない事も無いですが。足跡が在りました」
「郵便屋か何かじゃないのか?」
「郵便屋が玄関先をうろうろした挙句に庭にまで入る事等在りますでしょうか…」

泥棒か何かだろう、とか家を間違えたのだろうとか、
根拠の無い事を言って無責任に安心させるのは憚られた。

私は一応手を三角に組んで考えてみるものの余りにも情報が不足しすぎて
意味の無い仮定以外何も浮かばなかった。

「僕は心配で…一応彼女には泊まってくれる様な友人はいらっしゃる様だが
それとて女性同士で危険を回避できるとは思えませんし、僕が泊まると更に
身の危険を感じるみたいですし…」
「当たり前じゃありませんか!」蒼井は顔をまだ桜色にさせたまま叫ぶ様に声を出し
珠城はそんな彼女を見て笑った。

「簡単なのは――須藤さんと遥香さんに泊まって貰うとかが良いんだろうけどね」
「そうねぇ、でも前回の事もあるから余り巻き込みたくなくて…」
「だから僕が…嘘ですよ。冗談。でも警察曰く現場に無理矢理入った様な形跡は無いらしいから
蒼井さんが誰も家に入れないだけでも良いのかも知れないけどね。
僕が勝手に心配して君を不安にさせる様な話し方をしてしまったせいで…」

「男性は狼と聞いたものですから…」
「無理矢理襲う程僕は獣では無いですよ…」
そう落ち込む珠城に私は「成ろうと思って成る獣は居ないだろうに…」と苦言を呈した。

画廊は続けるにしても明るい内に閉めて家に帰る事や
定期的にここに顔を出すとかそう言うおざなりな約束をして取りあえずの解散をしたものの
胸の中にある不安を掻き消せる筈も無くもやもやとそれは漂った。

皆が別れを告げ出て行った室内に野々村だけが残った。
彼は何事も無い様にずっと古新聞を読んでいたが何か言いたげな直して彼の脇に立つ私を
ちらりと仰ぎ見て「夕べの事なら聞いても無駄ですよ」と素っ気無く言った。

どうやら記憶が無いらしい。

部屋を沈黙が占める。なんとなく気まずくなって
「先ほど洞口君が覗いていた」だの「授業はどうだ」だの他愛も無い話を吹っかけたが
答えは決まって生返事の様な気の抜けた言葉ばかりだった。

「そう言えば…この間は恩田君と仲良くなったみたいだけど…」
「別に仲良くなった覚えは無いですが興味深い話を教えてくれました」
「今日は居ないのか?」
「珍しく居ないですね」

野々村はずっと呼んでた本を閉じて初めてこちらをまっすぐと見た。

「休みかな?」
「朝から見ませんね」
「外に楽しい事でも見つけたのじゃないか?」
「彼も画家志望ですからね…」

ぎょっとした顔をすると野々村は私のその反応を楽しむかの様に笑った。

「まさか…」
「さぁ、でも良いんじゃないですか?言われた訳じゃないけど
彼の顔には死にたいと書いてありますし。需要と供給が遭うならそれはそれで幸せな事かも知れません」
「珠に…君の顔にも書いてあるじゃないか」

もっとも彼がそんな顔する時は人格が変わっている時だけど…

「誰しもが一度は思うんじゃぁ無いですか?死にたい消えたい何て。対岸にある物は何でも青く見えるもので
生きているからそう思うだけの話ですよ、きっと。どうせ死ねば生きるという事が羨ましくなる」

恐らく仮定の話をしているのだろうが夕べのやり取りがあって今という所に
冷え冷えと背筋を凍らせる力がその台詞には在った。

私が凍りついたから和ませるつもりで言ったのか彼は訂正するかのように
「まぁ、死≠ネんて嫌がろうが好もうがいずれは誰しもに与えられるものです。死に急ぐ事も
在りますまい」と微笑みそのまま立ち上がって部屋を出て行った。


***


それから何日か経って如何にも気になって蒼井さんの画廊に顔を出した。
遥香さんと須藤さんが相変わらず忙しそうに走り回っていたのは前と同じとして
そこに珠城が居て同じ様に使われている事が何だかおかしかった。

蒼井さんの申し訳なさそうな顔を見ている限りは頼まれてしている様では無いらしい。
彼女に逢いに来たついでに忙しそうだから手伝った、と言う所だろうか。

前は年を経た男女やその道の好事家だと人目で分かる人間でごった返していたが
客層が変わったのか珠城の端正な顔立ちのせいか絵に興味がなさそうな若い女性も
何人か入っていた。

若い女性に囲まれた珠城は如際無く会話をしながらさりげなく壁に飾ってある絵を紹介する。
きっと初めはそう言うつもりで入ったのでは無かったのだろうが彼に誘導されて見ている内に
その女性たちも絵に関心が沸いたのか珠城を離れ壁の絵を鑑賞し始めた。

「女性を懐柔させるのはお手の物ですわね」と珍しく毒のある言葉を吐く蒼井さんに
「誤解されると悲しいよ、僕は君が心配で…」と肩を竦めため息をつく珠城。

少し眉を吊り上げていた蒼井だが少しばかり考えると
「その事は…本当に申し訳ないと思ってます」と頭を下げた。

「心配じゃなくても来るけどね」
「お暇なの?」
「蒼井さんに逢いに…に決まってるじゃないか」
「またまた、ご冗談を…」

珠城は答えずただ悲しげな顔で蒼井を見つめた。
蒼井の瞳がゆらりと揺れた。

「…御免なさい」
「いえ…」


若い二人の恋路を邪魔するのは忍びなかったが私としても
ここを訪れた目的を果たしたいので誰にも入れない世界をかもし出す二人に
そっと声を掛けた。

「邪魔するよ」
「…っあ!」
「…あ、こんにちわ」
「ん、あれからどうだい?」
「あ、売れ行きも上々で中々…」
「私は事件の話をしているのだが…」

「特に問題は無いので少し気が抜けてきましたね」
と蒼井が笑い
「一応画廊から家に僕が送ってるんですが夜は酒場の仕事が在りますからね…休んでも良いのですが…」と珠城は表情を曇らせた。

「夢なのでしょう?」と蒼井は意思を通せと言い聞かせる様な口調で言った。
「それも夢だけど僕は――」と何か言いたげに珠城は蒼井を見つめた。


――付き合っていられない


「取りあえず元気そうにしてるなら良いんだ、私は帰るよ」とそれだけ言い残して家路に着いた。




【続く】


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