極楽鳥ノ束縛




【拾肆話】

***


紅と藍が鬩ぎ合って いるような空だった。

野々村と私は蕎麦屋での彼女の話から胸騒ぎを覚え、
気丈にも一人で帰ると言い張る彼女を押し切って
個展が終わるまで待ち、彼女を家まで送る事にした。
外はもう夕暮れと夜の狭間だ。

「綺麗な色合いだ事」
彼女は身近な人間が殺されたとは思えない程呑気な事を言った。
「本当だね、とても綺麗だ」
野々村は彼女に合わせたのか、それとも本当にそう思ったのか分からぬ程に
抑揚の少ない声でそう言った。

「この辺りは画家が沢山住んでいるのよ。売れてる画家に私の様な駆け出しに…」
「あの中尾と云う人もかい?」

私がそう問うと、彼女は笑って答えた。

「多分、あの人が此処に住んでいるからこの辺りは画家が多いのよ。
お父様も、そのまたお父様も画家と言う血筋だそうでね。中尾家に群がる様に
画廊が出来て、その画廊に拾って貰う為に…すぐに出来た作品を見て貰える様に
我々、画家の卵が此処に群がって住んでる、と言う訳、面白いでしょう」

前に野々村と並んで歩く彼女は最早真っ黒な影法師で
振り返って僕に問いかけているのか、横の野々村に相槌を求めたのか
それさえも分からなかった。

昼間あれだけ居た人ごみはいつの間にか消え、擦れ違う人も疎らに成っていた。
画廊の在った筋を進み、両脇に家々の立ち並ぶ道に出ると後は一本道が
土手の上まで真っ直ぐに伸びていたのを街灯が朧げに照らしていた。

土手は真っ黒で、その上に見える空は吸い込まれそうな藍色で
大きな赤い雲がまるで空を引裂いたかの様に疎らに流れていた。

坂道の上に座するそれはまるで我々を待ち構える様にどっしりと構えていた。

「毎日机の前に座ってらっしゃる先生達には重労働過ぎやしないかしら」
彼女が笑ったのがその言葉の間の息遣いで解った。

一応、彼女なりに気を使っているのだろう

「私は一応、若い頃よく駆け回っていた方でね。体力には自信が無くもないよ。
それに君に何か在れば夢見が悪いじゃないか」
「まぁ、失礼な。私が恨み節など唱える様に見えまして?」
「…枕元に立ちそうには見えるね。お腹減ったぁ!って…」

野々村はそう巫山戯ると彼女からの報復を予測したのかひらりと体を傾け、
予想通りに来た彼女の優しい攻撃を交わした。

「私だって偶には悩む事だってあるんですからね!」

彼女はそう膨れたが、彼女は言葉の陽気さとは裏腹に
酷く思い詰める性質で有る事は知っているし、彼女自身、
我々が知っている事を諒解しているからこそ誤魔化したくて
そう言っただろう事は解った話なのでただ、私達は笑って聞いていた。

誰にだって見せたい姿と見せたくない姿が在る。
無為に彼女の世界を僕達が崩す事も無いだろうし
その虚勢は私達への配慮だろうからその気持ちを尊重したいのも在った。

土手の影はどんどん大きくなった

自分から近寄っておいてこう表現するのも不自然だが
まるで巨かつ得体の知れない生き物が近づいて来ている様なーー

その生き物の在りもせぬ慟哭が聞こえて来る様な、そんな錯覚を感じていた
それから風が吹けば吐息の様に感じるで在ろうか、などと
具にもつかない事を考えていた時不意に悲しげな旋律が聞こえた

巷で蔓延し、未だ軍歌の香りを残す歌とはまた違う
真っ暗な生き物のその体躯さえ洒落た風景に感じさせる様な
異国の香りを漂う音色であった

特に打ち合わせをした訳では無かったが、私を含め皆その音の元を探し始めた

「こっちからかしら…」
蒼井さんはスカートの裾を気にもせず
(勿論辺りは暗いので何も見える筈も無く、少しばかり
残念に思ったのは心中に留めて置く事にする)

暗がりで彼女を見失わない様に後を追った

彼女は土手の頂で辺りを見渡した後、川側へ下りる坂を二、三歩を
滑り落ちない様にゆっくり降りたが余りにも傾斜が急だったのか、
それとも泥濘でも在ったのか…

取り合えず小さな悲鳴を上げて腰程も有る草影に姿を消した

例の旋律が止まる

私と野々村は急いでその地点に向かったのだが草を掻き分け直ぐさま、
その行動を後悔する羽目になった。



「何です…芸術の女神がやっと降って来て下さったから
これから口説きに掛かろうと思ってたのに…無粋な付き人まで降臨してたとは…」

暗がりながらに体の向きの所為かまだ残る夕日に仄赤く照らされた顔と
その如際の無い、無さ過ぎる所が鼻につく話し方をする声には覚えが在った。

あの画廊で在った――

「暗がりでも分かる美しさ。女神様の記憶に僕が少しでも残っていると
嬉しいのですが…画廊でお遭いした…」
「珠城…敬治さん…」
「そうです!覚えて下さってましたか、光栄です!」

転がり落ちた所を抱きとめたのだろう。
彼の膝に抱きかかえられた彼女は助けられた手前離して下さい、と言い難いのか
それとも居心地が良いのか、恥かしくて固まってしまっているのかは判らないが
動かないまま成されるがままに彼にぐっと抱きしめられていた。

「じっくりお話したいと思っていたのです。僕は貴方の作品が好きで…」
「あの…助けて下さって有難う御座います。私も貴方の作品を見た事が在ります。
とても柔かく幻想的で…中尾先生がいらしていて緊張していたから余り
お話出来なかった事を少し後悔しておりましたの」

「少しとは寂しいですね」
「いえ、大分…」
「はははッ!とりあえずここでこうしてお逢いできた機会を
大切にしませんか?勿論ご自宅までお送りしますので。
物騒な事が続きましたから…。この度は…その…」

彼の言う物騒な事、と云うのは恐らく彼女の言っていた
首無し殺人事件の事だろう。少し彼女に対してお悔やみを言う様なそぶりを
匂わせたが言葉が見つからなかったのだろう。

何とか言葉をひり出そうと彼は頭を掻きながらあーだの、うーだの唸っていた。
焦っている事を隠さずに、さりとて演技では無さそうな自然な戸惑いを見せた。
悪い人間の様には思えなかったから私達二人は少しばかり警戒を緩めた。

彼女は…彼女の影はこちらを向いた様に見えた。迷っているのだろう。

「私達もここでこの空の色合いでも愛でて居るよ。一期一会は大事にしないとね」
「僕はこの辺りで寝ています。今日は本当に温かくて良い気温だ」

野々村は彼らの姿が辛うじて見える位置まで離れて寝転がり
私も彼の横に座り、同じく空を見上げた。

蒼井さんは立ち上がりスカートの土を払いながら少し考えている様に
その動きを止めた後、観念したのか「有難う」と私達に頭を下げ
珠城の隣に座りなおした。

空はまるで絵の具で色を付けられた水の様に蠢き、姿を変え続けていた。
突き抜け様な紺は煌々と光る星を孕み、ゆっくり、ゆっくりと時間を掛けて
未だ夕日の面影を残す赤い雲を飲み込んで行く様に広がっていった。




【続く】

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