極楽鳥ノ束縛




【拾参話】

先程まで立ち竦んでいた雑踏をいとも容易く抜ける。
視点が定まるとこうも歩くのが容易いのかと吃驚した。
目標点となったその丸まった小さな背中は先程までの僕と同様に
時に立ち竦んでは嗚咽を漏らし、道の端で座り込む。

そして通り過ぎる人の好奇の目に耐えかねて
またふらふらと立ち上がり歩き出すその速度に合わせるのは
酷く難しかったが彼が僕の尾行に気が付く事は無かっただろう。

彼にとっての視界は混沌でしか無い事を
話しても無い僕には痛い程伝わっていたから。

その咳払い一つが僕と重なる。
足の運びに見える不安定な精神が僕と重なる。

どれ程の時間、彼の背を追っていたのだろう。
気が付けば空は茜色に染まりカラスがギヤオスと上から僕を、僕達を馬鹿にする様に鳴いた。

止まったり、進んだり、止まったり…気が付けば何処かの川の河川敷を
男二人、適度な距離を空けながら歩いていた。

辺りはまるで空襲で焼夷弾に焼き払われたかの如く真っ赤で
その赤が自分に侵食してきてじわじわと僕を狂気の世界に連れて行きはしないかと思わず背筋を冷たくした。地に落ちた影が酷く色濃い。

豆腐売りの音がする。呼び止める人の声がする。
遠い世界の日常、獲る筈の無い心の平安。

不意に土手に鬱蒼と生えている草陰が動き
目の前を歩く男を引き止めた。

知り合いなのだろうか、、暫く言葉を交す、と言うか掛けられた後
また目の前の『僕』はその場を離れた。

草陰からは何か楽器の旋律が聞こえてきた。
ギターのスチールが弾かれる音だ。

ぽろんぽろんと悲しげな旋律が茜色の世界を更に憂鬱に美しく飾った。

歩くにつれ音は近くなり、そして遠くなった。
僕はその旋律に心を残しながらも去っていった男の背を追った。

男はひたすら川沿いに歩いた後、土手を下りてある民家で立ち止まった。
木造の平屋の一軒屋。土塀で囲われたその家の門には縄が掛かっていた。

男はきょろきょろと辺りを見回してそっとその門を潜った。
耳を澄ましていると特に玄関を開く音はしなかった。
ただ家の周りを歩き回ると立ち止まったのか足音は消えた。

どれ程の間そうしていただろう。
僕は偶に通りかかる人に怪しまれぬ様に通行人を装った態度を取るものの
如何したって立ち振る舞いが不審である事位は了承していた。

まだ出てこない。人が通りかかる度に僕は中の男に「早く出て来てくれ」と願う。その願いが叶った訳ではないが男は再び辺りを見渡しながら出てきた。

手には男帯……?

僕の第六感が妙にざわついた。
大した事がない風景なのに酷く大事に出くわした気になった。
不安が胸の中に猛り広がる。だがそれと同じくらいに高鳴る鼓動。

嗚呼、死刑を待つ囚人とはこんな心境なのだろうか。
目の前に吊るされたロープを彼らは一体どんな面持ちで眺めるのだろうか。

予想の付かない疑問ではない。何故なら…
僕はきっと、正にその時と同じ心境になっているのだろうから。

一歩一歩と歩む十三階段の先に無機質に揺れる死の誘い。
嗚呼、何と甘美なのだろうか、何と恐ろしいのだろうか。

だが足は一歩一歩と死に歩み寄る。選択の余地など在りはしない。
だからこそ、自由になれるのだ。自動に進んでしまう物事など
放って置いても終わりは来るのだから。

終われると言う確証が在るだけ死刑囚は幸せだ。
僕はそうなりたいとずっと思ってた、その稀にしか来ない機会が目の前に転がってる可能性の発見たるや!

こんなに心が沸き立って仕舞う。死に面して初めて得る生の喜びよ!
知る事の歓喜を!愉悦を!緩和される事の快楽を!

僕は一人で笑った。真っ赤な色が僕を覆って同化させる。
まるであの窓の世界だ。野々村と一緒に佇んだ光と似た世界だ。
誰の目からも逃れる事が出来る場所、だが此処は余りにも…
他の人間をも認識出来なくて、、酷く孤独だ。
暗い願望ばかりが膨らんで仕舞う。

僕は窓際で過ごしたあの時間を思い出して…
急に何も無い、迎える者も居ない下宿先へ戻りたくなった。

男は辺りをきょろきょろと見渡しながら歩き出した。
僕は帰って彼との出会いを無かった事にしてしまうのが何故か勿体無く思った。

男は僕に背を向け、真っ直ぐに伸びた土壁沿いに歩き始めた、――が
不意にくるりと踵を返し、僕の居る方へと走ってきた。

凄い形相で、だ。

あっという間に僕の傍を駆け抜けるとさっき下りてきた土手を駆け上がる。
それと入れ替わる様に軍隊上がりなのだろうか、規則正しい足音が
男の居た方角から聞こえてきて、刑事が二人歩いてきた。

「――計画的にしか思えないですねぇ」
「交流関係は――?」
「今当たらせています」

捜査中なのだろうか、一人は軽薄な口調でにこにこと笑いながら話し、
一人は重く沈んだ声で眉間には皺が刻まれていた。

刑事二人は僕が突っ立ってるのを見ると胸元を探りながら近づいてきて
「こんばんわ」と軽薄な方がにこやかに挨拶をし、眉間に皺の方は
黙って僕に黒い手帳を見せた。

「この辺りの方ですか?」
「――い、、え、、あの、散歩、、」
「こんな時間に?」
「―――大学帰り――なもので、」
「悪ぃがどこの大学か聞かせてくれ」
「帝国大学です」

皺の方の刑事の表情が変わり、少し柔かくなった。

「へぇ?俺の知り合いがそこに勤めていてなぁ、そこで何してるんだ?」
「精神医学を…」
皺の刑事は噴出した。

「この間の件と良い、如何してあの先生さんに繋がっちまうかなぁ、一度お払いにでも連れて行った方が良いかも知れないなぁ」
「先生――」
「六華――」
「教授の――」
「おう古馴染みよ、で聞きたい事が在ってな。お前ぇさんいつから此処にいた?」
「どう――でしょうか――ふらりと来ただけですから余り時間は経っておりません」

勿論、嘘だ。不審にも割りと長い間ここに突っ立ってはいた。

「そうか――何か妖しい人間は――って言っても何が如何妖しいのか分かる訳ねぇよなぁ」
刑事はそう言って笑った。その顔は酷く邪気の無い顔だったので僕は先程ついた些細な嘘に酷く罪悪感を覚えた。

「何も――見なかったです」
そしてまた嘘を重ねる。
「そうか、邪魔して悪かったなぁ」
「いえ――」

話が終わるなり僕はきっともう居なくなってしまった彼の後を追う様に
彼らに背を向け土手を登ろうとした。

「ああ、そうそう。名は何と言う?」
刑事は僕をそう言って引き止めた。何か怪しいと思われたのだろうか。

「――恩村――太一郎と云います」
「ああ、、」

刑事は何か合点が行った様な声を上げたが僕は振り返りもせずに土手を上がった。しばらく来た道を戻っていると不意に草陰からくぐもった声が聞こえた。

「あの――あの、、済みません――ちょっと、そこの方――」

驚いた。僕がずっと尾行していた男、その人だったのだ。



【続く】
web拍手 by FC2
↑back to top
携帯ユーザー移動用
【NEXT】/【BACK】/【狂人ノ舞:目次】/【GALLARY MENU】/【SITE TOP】
 
ランキング(お気に召したら是非ワンクリック)
小説・詩ランキング

Special Thanks to …Crip Art by 退廃メトロノーム/Template Designed by I/O

inserted by FC2 system